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赤塚高仁さんの聖書塾 第1回:立派な青虫の話

長崎で、赤塚高仁さんの「聖書に学ぶやまとこころ」の講義を受けてきました。

先日、スピリチュアル系の翻訳を初めてやらせてもらって、この分野の翻訳をやるなら聖書を知らないと、まったく話にならんな・・・・・・と痛感した、まさにそのタイミングで、長崎での講義開催を教えていただき、参加できることになりました。

赤塚高仁さんについては、メルマガを通して最近知ったばかりで、聖書と古事記の話(どちらも私には遠い存在だったのです)というイメージから、アウェイ感溢れるお話を覚悟していたのですが、、、、、「自我(エゴ)の意識から解放されるには」を熱く、そして究極に面白く語ってくださり、、、、、あまりに「ホーム」すぎて驚愕しました。

そして、まさかこうなるとは、まったく予想していなかったのですが、赤塚さんの講義中に、MICAさん(偶然にも、この講座のすぐ後に、佐賀県でセッションを受けることになっていたのです)に教わっていた「ハートで生きる」生き方への抵抗が、スッとほどけたのでした。

あ、そっちに行ってもいいかな、確かにそっちのほうが楽しそうだな、私も行こうって。

「苦しみの90%は『自分』のこと」

このところ、ずっとずっと抵抗してもがいていたのは、、、幼い頃のこと思い出したりして、勝手に辛くなっていたのは、よっぽどエゴの死が怖かったんだな、ただそれだけだったんだなって。

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うーん、、、内面的に大きな出来事があったときって、分かりやすくは語れないものなのかもしれません。言葉にした時点で何かが違うものになるというか。こんなんじゃあ、宗教のセミナーに行って、洗脳されてきた人のブログみたいになってしまいそうですが(笑)、もちろん、そういうわけではありません。むしろ逆なのですが、伝わるかなぁ・・・難しそうだ。

赤塚さんの講義は、名言のオンパレードで、メモが追いつかないくらいでした。キラリと光る言葉の数々を、忘れたくなくて、感動に震えつつも必死にノートを取ったつもりだったのですが、今見てみて、ノートに残っている言葉の中に、エッセンスはない気がします。

赤塚さんも、「今日する話を知識として覚えて帰っても、何の意味もないよ」と最初に口を酸っぱくしておっしゃっていたのですが(よくそう言う先生いますよね・・・。今までは、後から読み返して、やっぱり「ノート」に価値があるじゃん、と思うことが多かったのですが)あー、こういうことなのか!と思いました。

講義中に、私の心の中のいろんなものをぶっ壊してくれました。聖書への偏見もだし、古事記などにある「神話」への(論理的にありえないことだからと)ちょっと見下すような気持ちとか。

そして、「信じる必要はない」ということ!!!そう、「宗教」が苦手だったのは、信じろと言うからなんだ・・・。聖書を読む気がしないひとつの理由は、私がそれを信じられないだろうと分かっているし、でも、信じないといけないんでしょ?って思うから。

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ちょっと、まとまらないのですが、エゴの手放しについて、とても、とても印象に残ったたとえ話があったので、ぜひシェアしたいのです。

「成長」ではなく「変容」せよ、という話。

青虫がサナギになると、一旦ドロドロに溶けて、蝶になる。いったん蝶になったら、もう青虫に戻ることはない。

でも、私たちは、つい「成長」しようとしてしまう。

赤塚さんがホワイトボードに描いてくださった↓の図式が衝撃で。衝撃で。

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「成長」―― わたしたちは必死になって、「知らないことを知っている」ことを、「知っていることを知っている」ものに変えようとしている。図のピンクの矢印ね。たったこれだけ。自分が「知らない」、ということすら知らないことのほうが、世の中にはずーっと多いんだよって。

ここで名言出ました。

「成長」とは、青虫が立派な青虫になること!!!!!

あーーーーーーーーっ、イタイ><><><><><><
たしかに、丸々と太った立派な青虫がここにいます><

「変容」は、思考で行ける世界ではないんだよ、と。そりゃあムリだよね。知ってることしか思考できない。

知らないことを知っても、知っても、また知っても、これだけか・・・・・・。このイメージをリアルに感じたときに、やっと、うん、マインドは手放そう、って思えたような気がします。。。。。

その後に聞いた、エネルギーについての話、頭では知っていたこと。言葉を変えて何度も聞いたり読んだりしたこと。それが、こんなに腑に落ちたことがあっただろうか!!!というほど、自分に染み込んできました。

こうやって、「種」がまかれれば、人って自分で変わるんだな、、、と思います。「知らない」を「知る」に変えることには、そんなに意味がない。言葉にできる部分、言葉で伝えられる部分、言葉で聞いて理解できる部分って、ちっぽけですね。。。。。。エッセンスは、言葉の中にはなかった・・・。知っていたようで、ちゃんとは分かっていなかったこと。

***

エネルギーは今ここにしかない。

辛かったり苦しかったりするなら、今、ここにいない、というだけのこと。

「4歳のときにお母さんが〜」って過去に原因探しに行っちゃってたり(爆笑)、問題を探しに未来に行っちゃってたり。そうするとエネルギーはダダ漏れ。

「今」にいればエネルギーは漏れない。エネルギーを漏らさなければ、必ず、自分のエネルギーが立ち上がってくる。

外からエネルギーを持ってくる必要はないんだよ、ただ漏らさなければいいんだよ、そうすれば、自分がパワースポットになるんだよ!とのことでした。



やっぱり半分も表現できていない、、、でも、とても大きな転機になりました。

これだけ書いておいて、聖書との関係についてまるで書けていないんですが、聖書の講義だったのですよ。「たとえ話(聖書も神話も、最初からそうとらえればよかったのか!)」の本質が強烈なイメージとして心に残ったのでした^^
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