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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

パステルと曼荼羅 (2)

ちょっと時間が経ってしまったけど、まゆさんから2回目のレッスンを受けました。

 

1回目のレッスンのあと、自分でもパステル曼荼羅を描いてみたんだけど、やり方は結構忘れているし、なんだかとっても汚〜くなってしまい、まゆさんマジックのチカラを感じたのでした。

 

五芒星。途中で疲れ果てて、丸でごまかした(!)

 

My third pastel mandara art

 

六芒星そして黒地に浮き上がらせるバージョンの練習。

 

My fourth pastel mandara art


 

曼荼羅っておもしろい。

 

紙の大きさもかたちも制限されていて、制限されているからこそ、その箱の中でつい工夫したくなって、その結果、ふつうとは違う頭の動かし方をするみたい。楽しいけど、ものすごーくエネルギーをつかう。脳の普段つかわないところが筋肉痛?になる感じ。

 

そうそう、まゆさんとまったく同じパステルをとって、同じように伸ばしていても、色の出方が全然ちがってくるのも面白い。これは、対面でマンツーマンでレッスンしてもらえたからこそ分かったこと。

 

わたしは、今、第2チャクラがテーマで、だからか、わたしが出すオレンジ色はなんだか濁ってしまう。そう、ひとりで描いたパステル曼荼羅は、第2チャクラを活性化したくて、あえてオレンジ色メインで描いたのもあって、ヒドイことになった(笑)

 

まゆさんの出すオレンジ色はとても綺麗。オレンジ色だけじゃなく、ぜんぶの色が綺麗に発色する。

 

色が綺麗に出せるかどうか、それだけでも、自分の状態が分かるみたい。

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パステルと曼荼羅

書きたいことがたくさんある!のですが、いろんなことが同時進行しすぎて、追いつかずにいます。低血糖と栄養の話、ヘリオセントリック占星術の話、はっしーさんワークのその後、アロマの話、、、、、少しずつ出していきます!

 

今日は、絵の話。

2017.05.02 ​自分のために「情報」を汲み上げる方法

2017.05.10​ クリエイティビティのブレークスルーが起こるまで

 

あたりの続きです。

 

これまでに書いたのは、自分の潜在意識とつながる方法として、知りたいことを意図して「絵を描いてみる」っていうのがごっつ役立つ!ということでした。

 

そして、そのとき、描きたいもののイメージが浮かんでいる必要はまったくないってこと!!!それは、描いてるうちに自然に紙の上に表れるから。仮に目を閉じて適当に描いたとしても、そこに、私の今の状態は表れるんだから。

 

自分について知りたいなら、キネシオロジーよりも、カードリーディングするよりも、文章書くよりも、絵を描く方がずっとダイレクトに「分かる」のです。

 

最近、アーティストの安達ロベルトさんがブログでリニア脳と非リニア脳という記事を書かれているのをたまたま目にしたのですが、まさにそういうことだと思います。3次元、4次元、、、多次元のことを表現するのに、文章だと、狭まってしまうんだと思います。そのリニアさを少しでも緩和する方法として作られたのがマインドマップなのでしょうね、、、と、どんどん話がずれていきますね(汗

 

そういうわけで、元々、イメージは浮かばないし、絵を描きたいなんて思ったこともなかった私が、最近、何か自分について知りたいことがあるたびに、絵を描いています。

 

たくさん描くようになると、画材に目が向いてきました。

 

リアンさんの直観アートのコースでは、最初は、水溶性のクレヨン(カランダッシュ ネオカラーII)から入るんですね。手軽さ、気負いなさという意味では確かにベストなツールで、この1年間はほとんどこのクレヨンで描いていたんですが、カリキュラムが進むにつれて、画材の指定がなくなります。

 

最初の時点では、絵の描き方そのものにとらわれずに、絵とのコミュニケーションを純粋に楽しめるよう、使うツールややり方に少しの制約を設けていてくれたんだと思います。子どもの頃、絵が嫌いだった人だと、水彩絵の具に拒否反応を示す人もいるでしょうし。

 

もともと好きで絵を描いている人には、もしかしたらその縛りがストレスになるかもしれませんが、私は、この縛りがあったからこそ、始められたんだなぁ、としみじみ思います。

 

苦手なことでも、範囲ややり方を限定してもらえれば「始められる」のですね!

 

最近になって、やっと、描きたい欲求が自然に出てきた結果、自分にとって気持ちを「乗せやすい」画材ってなんだろう?といろいろ試して、パステルに行き着きました。

 

で、パステルにもいろいろある!と。

 

これが、ホルベイン ソフトパステルで描いたもの。少しクレヨンも使っているのと、後から道の色を強引に変えたくなって、メタリック顔彩をべたっと重ねてます(超適当www でもコミュニケーションを取れているからいいのです!笑)

Kinesiology and me

 

で、最近ホルベイン パンパステルで描いたのはこんな感じです。

佑海さんが持ってるのを使わせてもらって以来、忘れられなかったパンパステル♪♪♪とうとう買いました!

 

Live Love

 

とにかく、色が全然違う!!!(画像化することで違いが分かりにくくなっていますが、実物は発色と透明感がかなり違います)

 

もちろん、こうなってるのは、私に画材の知識や使いこなす技術がないからなんですよ。

 

でも、今の私がやりたいことは、うまい絵や美しい絵を描くことではなくて、ワタシのそのときの潜在意識がダイレクトに表れやすい、乗りやすいというところなので、パンパステル、今、とても気に入っています。

 

もっとパステルを使いこなせたら、もっと自由に描けるんだろうなぁ、ついでに神聖幾何学図形も描けたらいいなぁ♡と検索していたら、なんと、同じ姪の浜でパステルで描く神聖幾何学図形&生命の樹を教えていらっしゃる方を発見!!!

 

福岡・全国Skype パステルアート 宇宙とつながる神聖幾何学模様&生命の樹

 

最近、我が家にお越しいただき、基礎講座をしていただきました。いずれはフィボナッチらせんを描きたい!というのが目標なのですが、まずは曼荼羅(マンダラ)から。

 

これが、まゆさんに手法を教えていただきながら、初めて描いたパステル曼荼羅

My first pastel mandara art

 

これが2枚目

My second pastel mandara art

 

初めてでこれって、すごくないですか♡(自画自賛)

 

ちゃんとコツを教えていただくと、初めてでもこんなに綺麗に描けるのか!!!という感動♪♪♪


「れー夢式」という手法だそうなのですが、本当によく考えられている、と感動しました。


何がすごいかというと、制約と自由度のバランスの絶妙さです。

 

さっき、苦手なことでも、範囲ややり方を限定してもらえれば「始められる」と書いたけど、まさにそのためのシステムが完成されている、と感じました。

 

というのは、(この基礎講座の時点では)紙の大きさは決まっているし、円を何等分で描くか、というのも決まっているのですね。↑の1枚目は8等分、2枚目は16等分で描いています。

 

でも、それ以外は自由!!!!

 

どんな色を使ってもいいし(濁りやすい色の組み合わせとかは教えてもらえます)、パターンも、既成のもので描いているのかと思ったら、それが自由に作れるんですよ!!!!!

 

最初から、自分の好きなようなカタチで好きなように描けます。決まったお手本があって、ただ真似するだけとかではないんです。しかもそれが結構簡単に、すごく特別な道具を使うわけでもなく、できるように工夫されているのです。


最初の時点では、特に完成時のイメージがなくて大丈夫で(というか逆に完成イメージがあっても変わっていってしまうはず)、できあがってみて感じる「こうなったか!!!」という意外性と感動は、まさに直観アートのそれでした。

 

まゆさんも、さまざまなスピ分野の変遷を経てようやく「これだーーー!」とたどりついたのがパステルアートの世界だそうで、使命を見つけた方のワクワク感に触れられ、嬉しい時間でした。

 

まゆさんのブログ:

福岡・全国Skype パステルアート 宇宙とつながる神聖幾何学模様&生命の樹

 

まゆさんの曼荼羅アートの講座のご案内:

れー夢式曼荼羅アート 基礎・応用・発展(フラワーオブライフ)他

 

※ちなみに、1枚目がヌーベル カレーパステル、2枚目がパンパステル。「れー夢式」では基本カレーパステルを使用するそうで、ハードパステルでも、ちゃんと粉にすればこんなに綺麗にふわっと描けるのね!という発見が^^

 

そうそう、パステルで神聖幾何学!というところから興味をもったのに、まゆさんが最初に曼荼羅から教えてくださったおかげで、今では、曼荼羅の奥深さに興味を持ち始めています。最近のプチマイブームだったユングと、まさかマンダラでもつながるとはー!

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クリエイティビティのブレークスルーが起こるまで

自分のために「情報」を汲み上げる方法

「やりたいこと」神格化現象の中で

からの続きです。

 

以前、クリエイティビティコンプレックスからの脱出と自己価値という記事を書いたことがありました。2016年5月12日。ちょうど1年前なんですね〜。

 

ここ数年にわたり、クリエイティビティコンプレックスから脱出する道のりを歩いてきて、何度かブレークスルーになる出来事がありました。

 

そのひとつがなかうち佑海さんから、カメラとPhotoshopとの付き合い方を学んだこと。これが大きな第一歩でした。

 

2015年5月1日にこんなことを書いていました。

【カメラと私 その1:カメラを持ち歩けない】

【カメラと私 その2:カメラを持ったライトワーカー、佑海さんとの出会い】

【カメラと私 その3 : カメラは最強の自己肯定ツール!】

(かやの森 鈴は私のクリエイティブ系の活動名です。まだほとんど活用されてませんが・・・)

 

これが写真のブレークスルー。この「0から1」的な進化は本当に大きかったです。

 

そして、最近、若林リアンさんから絵とのコミュニケーションの方法を学んだことで、第二のブレークスルーが起こりました。

 

写真のときは、すぐに分かるような変化があって、ひたすら楽しかったけれど、今回はブレークスルーはなかなか起こらなかったし、今やってることが何につながっているのか、私は本当に自発的に絵を描きたくなるのか、(今思えばですが)長い間分からないままでした。

 

もちろん、毎回楽しくやってはいたんですが、12回っていうカリキュラムがあり、前払いしてあったので、途中長期の休みをいただきながらも続けられた、というのが大きかったです(本来、3ヶ月くらいで終わるはずのものを、1年かけてやりました)。

 

ブレイクスルーが起こったのは、レッスンを始めてから実に1年以上経ってからでした。

 

思えば、リアンさんとの1年間は、私にとって「欲求のないところに絵を描くのに慣れる」プロセスでした。

 

頭の中になんのビジョンもない、描きたい気持ちもわいてこない、けれど、宿題だから描く、という、、、、、、、(汗)

 

リアンさんのワークって、最初の段階では、目をつぶって描くところから始めるんですよ。(すでに頭の中にある完成形を)きちんと描く、みたいな思い込みをぶっこわすことから始まるんです。
 
私には描きたいものがないんですから、リアンさんのやり方は好都合でした。

 

このやり方だから「何でもいいからただ描く」ことへのハードルはぐぐっと下がるのですけど、意味のあることをやりたい、やることによって価値を得たいタイプの私にとっては、しんどい作業でした。

 

特に、醜い絵(自分的にね)と向き合うのは嫌でした。

 

佑海さんが、写真で教えてくれたようにね。気に入らない写真を何枚撮ったっていいように、どうしようもなく下手くそな絵を何枚描いたっていいんですよね。その中で気に入るのが数枚あれば、全然いい。。。はずなのに。

 

たぶん、、、ダメダメな写真を何枚撮ってもOK!と思えるようにはなっていたけれど、あくまでもそれは、その中から「いいもの」が出てくるなら、という条件ありきだったのかな、と思います。

 

価値を、選び抜いた「いいもの」にしか置いてなくて、撮るプロセスそのものを楽しむ境地にはまだ達していなかったんですね。ここからも、自分の目標達成型思考が透けて見えます。

 

駄文をいくら書いても自分の価値は下がらないように、本当は、ぐっだぐだな絵を何枚描いても自分の価値は影響を受けませんね。それが体感で分かるのに、結構時間がかかりました。

 

これは、私が子どもの頃、「評価されるため」、つまり「自己価値を得るため」にしか絵を描いてなかったからだと思います。写生などは得意でよく表彰されていたけれど、学校から与えられた課題以外で絵を描きたいと思うことはありませんでした。高校では美術を取らなかったので、高校以降、絵を描くことはなくなりました。

 

今回も、課題という形で出されるから、どうにか描くことができたのですね。最近まで、絵を描くのはリアンさんとのアポイントの数時間前だけでした(滝汗)「失敗」しても、描き直すような時間はないですから、自分では到底認められないような絵をリアンさんに見せるわけです。

 

ジェネシスカード

若林リアンさん開発のジェネシスカード

厚みがあって、絵の具が飛んじゃったりしてもすぐ拭けば平気な頑丈さ。絵と一緒にワークするのにぴったりなのです。

 

でも、リアンさんの「目」を通して見ると、毎回、その、描きたいことも何にもなしに、わけもわからず、でたらめに描いたものの中に、びっくりするほど「私」が露呈している、ということに気づかされるのです。描いた絵を見せたときのリアンさんの「リーディング」は怖いほどです。え・・・なぜ、それが分かるの・・・?と。それは絵のうまい下手とはまったく別次元でね。

 

それを12回以上繰り返しました。

 

それで、私、最近ようやく分かったんです。
 
クリエイティブになるために「作りたいものが分かっている」必要はない!ということを。
 (かなり語弊がある言い方です。そもそも誰もがすでにクリエイティブであって、「クリエイティブになろう」とすること自体がおかしいです。「描きたいものもない」「描いた絵を見ても何も読み取れない」そういう自分でも、リアンさんの目を通してみれば――つまり、見る目さえ変えれば――雄弁に自分を表現していた、すでにクリエイティブだった、ということを言いたいのですがうまく伝わるかな?意識で分かってなくても、無意識で完璧に分かっている、そういう自分は相当クリエイティブですよ?)
 

リアンさんとの1年間は「自分から生まれるものと向き合う」プロセスでもあったのだと思います。それはすなわち、「いい」自分だけじゃない、闇もヘドロも含めた、ありのままの自分を見ることそのものでした。

 
1年と数か月たった最近になって、初めて、文章を書いて自分でどんどん内側と対話していくのと同じように、自分で絵とコミュニケーションする感覚が掴めてきています。それまではレッスンでリアンさんの目をお借りしないと気づけなかった、自分の絵に潜んでいる無意識のメッセージに、自分である程度気づける感覚が、1年かけてやっと育ってきてくれたんです。


そうなると、俄然、絵を描くのが楽しくなってきました。

 

私が駄文をいくら書いても平気なのは、書いたプロセスそのものに意味があって、それによって自分の心の中に生まれている「何か」に価値を見出しているからです。心とのコミュニケーション手段としての役割を立派に果たしているから。絵も同じになりました。

 

急に、絵を描くことが特別なことではなくなり、文章と同じ自分との対話「ツール」となり、ただその時々のアウトプットであるだけのものに格下げされ、私にとって人に見せるためのよそいきではなく、自分で使う日用品になりました。

 

「あ、書こう」って思うのと同じように、「あ、描こう」と思うようになっていました。つまり、「描きたく」なっていました。


あれ、「やりたいという気持ちが出てこない」のが私のコンプレックス、でしたよね?

 

すでに解消されてるではないですか!!!

 

 

 

「書きたい・描きたいことなんてなくていい」「書けば・描けば何か出てくる」

 

これが、私にとってのクリエイティビティ、第二のブレイクスルーでした。

(もちろん、書きたい・描きたいことがある人はそれをすればいいと思います、あくまで私の場合です!)

 

ここで、やっと、先日の「やりたいこと」神格化現象の中での記事につながってきました。

長くなりすぎるので一旦切ります。まだ少し続きます。

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お手軽DIYで音叉のディスプレイ棚を作りました

記事が途中ですが、今日は別の話です。でも少し関係しているかな???

 

ゴールデンウィークに、ずっとほしかった壁面音叉ディスプレイ棚を夫と作りました♪

 

今までのように棚の上に並べるだけだとスペースが足りなくなってきたので、取り出しやすくて、見た目も綺麗な棚を作りたい、とずっと思っていたのです。

 

音叉のディスプレイ棚、といって思い浮かんだのは、大きく分けてふたつのタイプでした。

 

まず、これみたいに逆さに引っかけるタイプ。

acutonics

(画像はAcutonics社のサイトからお借りしました)

 

もうひとつは、こういう穴に差して立てるタイプ。

acutonics

(Acutonics社のフィボナッチセットです。この木製スタンドは別売り50ドル^^この画像もAcutonics社のサイトからお借りしました)

 

一番周波数が高い音叉は先端に重みがないため、杭には掛けられないことが分かったのもあって、穴をあけて立てるタイプで作ってみることにしました。

 

夫もわたしもDIYはほとんど未経験なのですが、今は便利なものがあるのですね〜。2×4(ツーバイフォー)材っていうその辺で安く売っている木材を必要な長さにカットしさえすれば(カットはホームセンターで無料〜数十円とかでやってもらえます)簡単につっぱり壁面収納が作れるパーツを発見♪

 

主なものでは、「ディアウォール」と「ラブリコ」があるようです。機能としてはほぼ同じものですが、突っ張りの仕組みが、ディアウォールはバネ式、ラブリコはねじどめ式。ねじが見えないディアウォールの方が見た目は綺麗だと思いましたが、何かあったときにねじを締め直して調整できそうなラブリコにしました。

 

これです↓

 

棚板の部分に電動ドリルで穴をあけたわけですが、このときのポイントは、ドリルの刃をちゃんと「バリが出にくい」やつにすること!!!最初、普通のを使っていたのですが、穴の周りがバリバリ割れて汚かったです。それは後からやすりで削ってもどうにも修復できないレベルでした。

 

途中でコレ↓に変えたら、びっくりするほど綺麗な穴に♪

AcutonicsとBiosonicsの音叉の軸の直径はほぼ同じで約7mmだったので、穴の直径は9mmにしました。8mmの穴だと、ぐりぐり回さないと音叉を抜き差しできない感じでした。今Amazonで見ると8.5mmの刃もあるようなので(私が行ったホームセンターにはなかった)、8.5mmのほうがいいかもしれません。9mmは少し緩いので、音叉がちょっと斜めになります。

 

完成!

音叉のディスプレイ棚

 

使い心地は最高です♪選びやすく、持ち替えやすい♪

 

何より、部屋に入ったときの空気感が変わりました。コンテンポラリー風水のマークさんの言うとおり、目に入るものが私たちの心に与える影響はすごいですね。フワッと上がる↑感じです。

 

こういう穴に差して立てるタイプの良いところは、鳴っている音叉を穴に差すとしばらく鳴り続けているところだと思いました。掛けるタイプだとこうはいきませんね。フィボナッチ音叉を下から上まで重ねて鳴らしていくと、かなりすごいですw 棚の上に置いてやると、棚がちょうど共鳴器の役割を果たすというオマケ付き♪

 

これも、好きなものを好きなように作れる!作っていいんだー!っていう、ひとつのブレークスルーでした!

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「やりたいこと」神格化現象の中で

<クリエイティビティ>の話の続きです。

 

私には長年、コンプレックスがありました。

 

「やりたいことがない」ということです。

 

それは、<クリエイティビティ>のコンプレックスでもありました。

 

「書きたい」「描きたい」「作りたい」「演奏したい」などの欲求が先にあって、それを表現するのが<クリエイティビティ><創造性>なのだと、ずっと思い込んでいたからです。

 

だから、「これを描きたい!」とか「この曲を演奏したい!」などの情動・欲求がほとんどわいてこない私は、どう考えても「創造性がない」のだろうと思っていました。

 

普通、クリエイティビティのコンプレックスって言うと、「絵が下手」みたいな、スキル的なコンプレックスだと思うじゃないですか。私もずっとそう勘違いしてたんですけど、私が本当にコンプレックスを感じていたのはそこではなかったってことに、最近になって気づきました。

 

絵が下手だとか、それ自体に別にコンプレックスはありませんでした・・・だって、そもそも、絵を描きたいとか思ってないのですからね・・・。

 

期せずして、ここ5〜6年くらい、この<クリエイティビティ>コンプレックスについて掘り下げ、とことん向き合う流れになりました。

 

きっかけはhidaさんのキネシオロジーで取ってもらったメッセージでした。メイクやお洒落をするといいよー、Webデザインやるといいよー、みたいなメッセージ。最初は8年くらいも前になりますね。継続して出てくるのです。

 

メイクも服も嫌いだし、デザインするとか意味分からないですよ、やりたくない!って思うことばかり。

 

あ、ほんとは、嫌ならやらなきゃいいだけですよ。でも私は素直で貪欲なので(笑)、「潜在意識がそんなにオススメだって言うならやる!」とやろうとしたわけですね。ちなみに、メイク・お洒落・アートは私の中では自己表現という意味で同一カテゴリです。

 

やり始めたときは、こんなに深いところにつながってるなんて、思いもしなかった!!!

 

キネシオロジーで出てくる、潜在意識が勧めてくることって、やりさえすればすぐ、「わぁ、これまで興味なかったけど、楽しい!!!」みたいになるんじゃないか、みたいに思っていました。甘かったです。潜在意識が本当は私に何をやらせたかったのか、いや、何のためにそのメッセージを出してきていたのか、気づくのに8年かかりました。

 

メイクが好きになりたくて、服が好きになりたくて、まずは、いろんな人にいろんなコンサルやレッスンを受けました。合う服の色やかたちを診断してもらったり、買い物同行で選び方を教えてもらったり、メイクのテクニックを習ったり、オススメのお高い化粧品を買い集めたり、、、、、、たしかに、それぞれ効果はあったけれど、ただ知識や技術を教わっただけでは、抜けられない壁がありました。

 

デザインもそうです。一通りの”やり方”は分かったけれど、デザインばりばりやるぞー!って感じにはどうしてもなれずにいて、それもモヤモヤ。

 

あなたの美をさまたげている心のブロックを解消!みたいなヒーリングセッションも受けたけど、ブロックの解消については、結局、インナーチャイルドを癒す、というようなもので、私が期待していた効果は得られませんでした(そのときは自分が何を求めているのかも分かっていなかったけれど)。

 

何をやっても、とりあえず一通り、やり方が分かってきたところで、壁にぶつかるのでした。

 

ようやく、私は、どうしようもない事実に目を向けることになりました。

 

結局、やり方が分かったって、自分の中にそれを「やりたい」という気持ちはわいてこない、っていう事実です。

 

これを描きたいという気持ち。

こういう装いをしたいという気持ち。
こういう顔にメイクアップしたいという気持ち。

 

そういう、こういう表現をしたい、という欲求が私にはどうもわいてこないのです。

 

「自分の顔のこういうところが嫌いだからカバーしたい」とかのネガティブな動機でも、なんでもいいから、やりたいという気持ちさえあれば、やると思うんだけど、私にはそういうのがないんですよ・・・(欠点がないっていう意味じゃないですよ!)

 

動機がないんだから、いくらテクニックを習っても、やらなくなっちゃうのはしょうがなかったんだなぁ、、、


この悩みをスピリチュアル系の人に言えば、トラウマやブロックがありますね、セッションを受けましょう、ってなる(笑)

 

スピリチュアル界隈では「やりたいことをやりなさい」「ワクワクすることをやりなさい」とよく言いますね。この「やりたいこと」神格化現象の中で、「やりたい」という気持ちが出てこない私は、、、まだ癒しが足りないのではないだろうか、と思わされるのです(笑)


「やりたいこと」が分からないから、動けないんだと思っていました。

 

だからこそ、キネシオロジーとかを使って潜在意識が「やりたい」らしいことを読んでもらったんですよ。

 

やりさえすればいいのかと思ってました。思っていたのに。

 

もちろん、やりさえすれば、それなりに楽しめる、それは分かってる(もしくは努力して分かるようになった)。

 

でもさ、どうしたら本当に「やりたく」なるの???

 

特に何も「やりたくない」ところから自分を動かすのってしんどいんですけど?

 

どんどん仮面を脱ぎ捨てて自分になっていけば「ワクワク」ってやつが得られるんじゃないの?そうじゃないの???まだ癒しが足りないの?

 

・・・・・・という混沌とした状態が、長年続きました。

 

何かを「やりたい」という気持ちが、喉から手が出るほど、欲しかったです。

 

そこにブレークスルーが起きた、という話を書きたかったのですが、あまりに長くなるので、一旦切りますね。続きます。

>>> 続きはこちら

 

Twilight in Tsunoshima, Yamaguchi, Japan

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