sakura-blossom
<< 自分と向き合う〜『発達障害とどう向き合うか』 | main | 『脱・偽り人生 ~本気の自己認識ワークBook~』をやり終えた直後の感想 >>

福岡&遠隔で「ラク」を体感するヒーリングをやっています☆

やりたいことなんてなくていい

「やりたいこと」神格化現象の中で の続きです。

 

文章は子どもの頃からずっと書いてきました。ただ、書くと心が整理されて、気持ちが軽くなるからです。書き始めるときには、どこへ行き着くか分かっていなくて、ただガスを抜くように、出てくる言葉を書き続けていると、突然、目の前が開けるように、「これが書きたかったんだ!」という結論やメッセージが出てきてスッキリする、というのが、私のいつもの書き方でした。
 
書きながらメッセージに辿り着くその瞬間まで、私は自分が何を書きたいのかも分かってない、それが当たり前でした。
 
だから、「あ、書こう」とは思うけれど、「書きたいものがある」というのとはちょっと違います。何を書くか、はまったく重要じゃないし、書き始める時点では分かってません(「書きたいものがある」と思っていることもたまにありますが、大体、書き終わったときには別物になっていますw)。

 

このブログも、そういうプロセスの繰り返しでできています。

 
これまで「排泄行為」だとばかり思っていたこのプロセスを「創造」と呼んでもいい、というのが最近の一大発見で、私にとっては大きなブレークスルーでした。

 

排泄行為から創造活動への昇格です!!!
 
これを「クリエイティブ」って呼んでいいんだ!ということを最近、受け入れました。許しました。だから、ブログを書くのも一気に楽しくなったんですね。

 

自分が生み出すものは、存在する価値がある(廃棄すべきものではなくてね​)。

 

それは、「自分がここにいていい」「生きていていい」と同義です。。。。。。

 

ということは、、、クリエイティビティの感覚って、自己肯定、存在価値の感覚そのものだったんですね。

 

自分がここにいていいとしたら。価値あるものを生み出さなくてもいいなら。生きているだけでいいなら。。。。。。

 

やりたいことなんてなくていいと、やっと、本当の意味で納得したんです。

 

もっと正確に言うと、「やりたいこと」なんて「分からなくていい」から、やりたいことをやっていい、かな。なんだか禅問答みたいですが。

 

「やりたいことをやりなさい」・・・よく聞くスピ系のアドバイスですね。私はこのアドバイスにずっと従おうとしてきたけれど、ずっと、その「やりたいこと」を何か具体的な対象だと思っていたんです。
 

そうじゃなくて、やりたいことをやっていいってのは、「あ、書こう」「あ、食べよう」みたいな原始的な思いつきのようなもので十分で、それを抑圧せずにやっていいってことなんだ、とやっと理解したんですね。

 

私が見落としていたのは、単なる衝動にしか思えない、くだらない、意味もない、お金も稼げない、どう考えても今それをするのは合理的ではないと思う、誰かに認められるわけでもない、どっちかというと世間的にはアウトかも、、というような、どうでもいい心の声に従っちゃっていいんだ!!!っていうところです。「やりたいこと」はもっと大層なものだと信じ込んでいたので。盲点でした。

 

そう考えてみると、ふと「あの人にメールしよう」とか「この辺汚れてるから掃除したい」みたいな些細な思いつき・衝動は日々たくさんあって、そのほとんどを「今は仕事でしょ!」とかバッサリ却下してたんですよ、無意識に。良かれと思って。そうするのが当然だと思っていたから。衝動に従っちゃった時は、後悔までしていました。本当は今日は○○をしなければならなかったのに、あそこを掃除しただけで1日が終わってしまった・・・みたいに。

 

でも「やりたいことをやる」っていうのは、おそらく、そういう些細な些細な思いつきをぶった切らずに、ひとつひとつちゃんと聞いてあげて「やる」ことのような気がします。そうするようになったら、いきなり生きるのがラクになったから。

 

(ここで私の場合はADHDの話に繋がります。ADHDのコントロールっていうのは、まさに衝動のコントロールだったので。衝動を叱りつけて、縛り付けて、あるべき自分を作り出そうと必死だったけど、そういうコントロールは最小限でいいんですね。むしろ、ADHD的衝動を利用するのです!)
 

私は「やりたいことをやりなさい」「ワクワクすることをやりなさい」という言葉を、「やりたいこと(ワクワク)がなくてはならない」と勝手に誤解して、自分を縛っていたんだなーと思います。まるで、「やりたいこと」や「ワクワク」が分からないと動けないような気にすっかりなっていましたからね。

 

「何を」どうするという具体的な目的とか意味とか手段とかは別にどうでもいいから、分からなくていいから、分かるのを待たずに「ただやる」だけでいいみたいです。ただし、「やったほうがいい」ことはやらないこと。「やったほうがいい」って言ってるっていうことは、やりたくないのだから。このワナによく引っかかるんですよね〜。別の言葉でいえば、「やる」ことを、価値を勝ち取るために利用しないこと。
 

わたしは、何かを「やりたい」という気持ちが喉から手が出るほどほしかったけれど、この飢餓感、私が誤解して創り出したものだった、と思うようになりました。

 

その誤解ワールドから抜けるには、たぶん、「勇気」が鍵なんじゃないかと思います。


「やりたくない」声のほうが「やりたい」声よりも分かりやすいから、先に聞こえはじめると思うんですね。そうすると、「とにかく何にもやりたくない!!!」その声に従ってあれもやらない、これもやらない、ということを積み重ねていくのは、、、それは、自己価値を「やること」によって勝ち取っていた人にとっては、ものすごい罪悪感と恐怖ですよ。

 

それは世界が崩れ落ちるような、自分の居場所がなくなるような、、、死の恐怖に近いものがあると思うのですが、その恐怖を乗り越える勇気。だって誤解なんですよ。

 

そして、やりたいことがふと出てきても、具体的にどうとかはよく分からない・・・。分からなくても「ただやる」ことが鍵だから、「分からない」不確定な状態に耐える勇気も必要かもしれません。

 

それをやっていくとだんだん、分からなくても自分は常に何かを生み出していることに気づき、すでにやっていることの中に価値は元々あることに気づき、価値あることを生み出すことで自分に価値が付くんじゃなくて、もともと自分に価値があるんだ、っていう世界観にシフトしていくんだと思います。

 

そう、結局、単に「見方」の問題でした。


「やりたいことがない」ってずっと言ってきたけれど、一瞬一瞬をちゃんと見てみれば、何かをやりたくて何かをやってました。ただ、当たり前すぎて「何もやっていない」と錯覚していただけ。

 

何でもいいから、ただやれば、それをやったことで、そのときの自分の周波数に合ったことがおのずと起こってくる・・・・・・それは意識するしないにかかわらず起こっていて、今目の前に起こっていることもすべて自分の反映なんですね。つまり、何もやっていないつもりでも、何もやりたくないと思っていても、どうせ、一瞬一瞬、私たちはクリエイトしているんですね。


逆にね、分からないままにクリエイトするということは、無意識さんが表れやすいってことですから、自分とつながるにはもってこいとも言えるかもしれません。

 

さらに、ここからはおまけですが、具体的には分からなくても、意図(intention)(こないだの例で言えば、キネシオロジーと私の関係についてもっと分かりやすく見せて!というのが意図です)だけ打ち上げておけば、無意識さんが勝手に働いて、見せてくれる・・・・・・これは体験すると分かりますが、完全に”エネルギーワーク”のレベルで、素晴らしいヒーリングですw

 

意図をもって何かを作ると、どうもその意図に合わせて周波数が調整されるようなんですね。だから、意図をもってクリエイトすると現実が変わっちゃいます。本当に不思議なんだけど。

 

そして、実は音叉ヒーリングの原理も一緒だったりします・・・^^

 

落ち着けわたし、そのままでいいのだ、分かってなくていい、うまくなくてもいい、ただやれ。必要なのは意図だけだ、と昔の私に言いたいですw

 

ああ、ロンさんの言う「意図」の意味が分からなくて去年混乱してたのも意味があったのだなぁ・・・あらためてロンさんの言葉をお借りして、"Intention is everything. (意図がすべて)" は真実だと実感しています。

このカテゴリーの他の記事

comments: -