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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

キネシオロジーと職業選択と覚悟とADHDの話

面白いご縁で、きょうこさんのIH(インテグレート・ヒーリング)キネシオロジーをモニター枠で受けさせていただけることになって、行ってきました。

IH。。。やっぱりすげー。。。

の一言でした。

今の私のテーマは「覚悟」でした。

以下、長文です。セッションレポではなく、自分語りです。
 

背景

最近の状況ですが、Webデザインもちゃんと仕事として始めようか、という段階になって、一歩踏み出せずにいます。

「〜の料金でこういうことをします」と宣言できない、それをさせない何かが自分にあるのです。
 

キネシに振り回されている?

そういうと、本当にWebデザインやりたいと思ってるの?っていう話になるのですが、そもそも、私が心の底からこれやりたい!と思うことって、普段からあまりないのですよね。。。

Webデザインには以前から興味がありました。でも、実際に始めた動機は、キネシで出たからです。hidaさんのキネシのセッションでしつこく出なければ、たぶん、始めていなかったと思います(※今回のIHキネシオロジーとは関係ありません)。

キネシで出たから始めた、とか言うと、「キネシの情報に振り回されている」と言われることがあるけれど、私の中では違います。キネシは、あくまで参考情報。

感覚としては、「人から言われたからやってみた」のと似ています。

人から言われてやってみる場合も、その人を信頼してるから、じゃあ、あの人がそんなに言うならやってみよう、となりますよね。私も、キネシで自分の体から読み取られた情報を信用しているのです(ただし、タイミングによっても結果は異なるし、キネシを取る人との関係性によっても結果は変わってくるので、盲信は禁物、あくまで参考情報です)。
 

キネシで出たからやってみた

いきなり話が完全に逸れましたが、キネシで思いもかけない事柄を「やってみるといいよ」と出た場合。

私の場合、Webデザインをやってみるといいよ、というのは何年もの間、無視しているのに、しつこく出続けていました。別のことを聞いているのに、Webデザインをやりましょう、とかwww

そういう場合、とりあえずやってみると、面白いようにスムーズに進んだりします。

「そんなにWebデザインやれっていうなら仕事くださいよ!」と潜在意識への挑戦のつもりで、実績なし、ポートフォリオもなしで派遣に登録に行ったら、その日のうちに派遣先を紹介されるとか(その会社は辞めてしまいましたが)。

会社を辞めた後も、ひょんなことからWebデザインのご依頼をいただいたり。

ちなみにここ半年くらいで私がデザインさせていただいたサイトはこちらです。
「やなぎの木」東京・三軒茶屋のスピリチュアルな美容室 (Jimdoサイトのリニューアル)
キラキラな毎日 (アメブロカスタマイズ)
東京・麻布十番駅から徒歩4分 顔コリほぐしサロン face10-ban(アメブロカスタマイズ)

「やなぎの木」のリニューアルが終わったのが9月上旬で、そのとき、「とりあえずやってみよう!」のノリでできる分を、思いのほか、早く通過してきてしまったことに気づきました。

これからさらにコミットしていくなら、今ここで、Webデザインを仕事としてやります!と宣言するんだと思うけど、、、、でも、、、というところで、立ち止まっているのです。

もしかして、覚悟が、、、できていない。。。?(私、覚悟なんて当然できているつもりだったんですよ!)
 

キネシオロジーも、、、

その視点で振り返ってみると、、、以前キネシオロジーを仕事にしようとして失敗したときも、直接的な引き金は違う理由だったけれど、根本的に、もしかしたら同じところで引っかかったのかも。。。。と気づいてしまったのです。

100人の方にキネシオロジーのモニターを無料でさせていただいて、、、あのときは本当に本当に楽しかった!!!!!!

そうやって、流れでできているうちはいいのだけど、私は、「仕事として、〜をやります!」という覚悟が、もしかして、できない、、、、、、?(冷や汗)
 

プロとしてやっている翻訳も、、、

実は、すでに一応の「プロ」である翻訳についても、、、、、覚悟がないのだ、、、、ということに、思い至り、腑に落ちてしまったのです。

悲しいけど、それだったのだと思います。。。。わたしがずっと苦しんでいた原因は(周りの人の目からは明らかだったかもしれないけれど)。

「流れでできている分」の仕事しかしてきませんでした、翻訳も。

ただ、翻訳者になるという職業選択だけは、(キネシとかじゃなくて)自分で決めたのはしっかり覚えています。人と会わなくてすむ仕事はなんだろう、ってことで決めたのです。当時は対人恐怖だったから。消去法で。

でも、その後、対人恐怖は問題ではなくなって、それ自体は喜ばしいことだけど、私、もう人としゃべれるようになったのになんで翻訳やってるんだー!翻訳なんて嫌いだー!!!!と心の中が暴れるようになりました。

そんな内面の叫びとは別に、仕事は来る、、、、、、だから、流れでできてしまうのです。

翻訳はプロではあるけれど、プロとして誇りをもって仕事をずっとしていこう、という覚悟なしでやっていたし、やってこれてしまった・・・・・・。

一応翻訳経験10年以上、フリーになってからも4年半経っているのに。

多くの場合、フリーランスになる、ということは覚悟を決めることだとされているけれど、私みたいなケースもある(滝汗)

これは、翻訳会社から仕事を振ってもらえる(特に、私の得意分野の仕事は常時大量に発生している)という実務翻訳者の特殊事情あってのことかもしれませんが。
 

被害者意識による職業選択

私には翻訳以外にできることがないから翻訳をやらなくちゃいけないんだ(THE 被害者!)、、、という思いが強くありました。

「対人恐怖がなければ」自分の人生を、職業を自分で選べると思ったのです。Webだとか、キネシオロジーだとか、新たな職業に手を出した動機としては、結局、過去に、対人恐怖だったせいで失った「可能性」を取り返したかったのだと思います。

だから、ずっとできないと思っていたこと、、、、人と関わる仕事を「できる」ようになれるかも!?だなんて、大海原に乗り出すような解放感、充実感でしたよ、、、、キネシやWebを始めた頃は。

だけど。

人と関われる、友人がいるという事態が日常になり、その仕事を最低限「できる」スキルも身に着けたところで、はたと立ち止まってしまったのです。

どうやら自分は、流れでさせていただける分について、「しょうがないからやってるんだ」的な態度では動けるんだけど、自分で選択したことを、自分の責任のもとで遂行します!という感覚が分からない・・・・・・・らしい。
 


私がこれまでの人生でした、唯一の「覚悟」

(ここまで書いて、まだセッションの内容に入れていないのですが・・・^^;;;)

「覚悟」というキーワードから、以上のことが私の中でパンパンパーンとつながったところで、「もしかしたら、これまでの人生で、覚悟をしたことがあまりないのかもしれませんね?何か、これまでに覚悟をしたことはありますか?」ときょうこさん。

すぐ一個だけ思い浮かびました。

小2のはじめに転校するときに「次の学校では、絶対にいじめられない!」と誓ったのです。それは、文字通り、覚悟ででした。

実際に、それ以降人にいじめられることはなかったけれど、その後の人生で覚悟をしたことは一度もなかったと初めて気づく私・・・・・・・。

というよりも、大人になってからの人生の多くの時間とお金を、そのときの「覚悟」をひっくり返すことに注いだのです・・・・・。

その覚悟は、誤解に基づいたものだったから。本音を言ったり、自分をそのまま出したらいじめられるんだと思っていました。だから、私は絶対に本音を言いません、表情に出しません、もし嫌なことをされてもいつもニコニコしています、みたいなね。大体、対人恐怖とか、自己肯定感のなさとかはそこから来ているわけで、、、幼い自分がした固い覚悟を、大人の私が、一生懸命はがしてきたのでした。

きょうこさんからは、サバイバル状況でないと「覚悟」ができないようになっているのですね、だから、覚悟をするためにサバイバル状況に自分を追い込んだりするんですね、と。

たしかに、覚悟は、、、私にとってそういうもの。

というここまでが前提です。ながっ!
 

ディープレベル・スイッチング

IHキネシオロジーでは、そのとき必要な調整法がキネシで選ばれます。

今回選ばれたのが「ディープレベル・スイッチング」というプロトコル。

きょうこさんが説明を読み上げてくれたのですが(うろ覚えなので細かいところは違うと思いますが)、何らかの深く傷ついた経験などによって、左右の大脳半球をつなぐ脳梁の機能が損なわれることで、情報伝達がうまくいかず、脳内で混乱が起きている状態だと。脳内の混乱とはつまり、空間認識能力がなくなったり、体の感覚と脳で感じることがズレてたり、左右が分からなくなったり、記憶障害になったり、「今現在」にいることが難しくなったり。。。。。

説明を聞きながら、わたし、しばし呆然・・・・そして興奮!!! だって、それは、ADD/ADHD(注意欠陥障害/注意欠陥多動性障害)の症状や原因と言われていることとかなり一致していたから・・・・・・・><><

まさか、ここで、このタイミングでADHDに関わる脳の調整をすることになるなんて!!!!!!

もう完全に諦めてたのに。だから、私はもう「先延ばし癖を直したいんです!」とかは言わなくなったのに・・・
 

ADHD持ちの感覚

ADHDのこと、本当に、どのように話しても伝わらないので、普段は人に話さないですし、ここで書いても分かってもらえるとは思わないのですが、、、、、、

「自分の感覚をまったく信頼できない」という感じって想像つくでしょうか。

物を持っているはずでも、途中スコーンと記憶が抜け落ちて、どこかに置いてきてしまっているとか。人に呼ばれているのに、目の前の作業に集中していて全然聞こえておらず、どうして無視したのと言われるとか。落とすつもりがないのにフッと力が抜けて物を落としたり、コップに水を注いでいるはずが少しずれたところに注いでこぼしてしまうとか。

まぁ、誰にでも大なり小なりあることだから、「私もあるよー」って簡単に言われるけれど、毎日、常に気をつけていないといけないのです。

物を単体で持っていたら知らないうちに忘れてきてしまうから、体に身に着けるしかないんです。

「忘れないぞ!」って固く誓ったって(覚悟)、意味ないんですよ!

スコーンと抜け落ちる、そのとき、私の意識はない。

たまにだったらいいけれど、それが毎日なんです。やろうとしたことを忘れるのが普通なんです。

根本的に自分を信頼できない、、、、、自分のことを自分で面倒みれない感覚、たぶん、症状を持っていない人には分からない。すごく悲しいですよ。

でも私は軽度(グレーゾーン)だから、なるべく粗相がなくなるような仕組みやルールを作って、人並みに暮らせてはいる。人並みにできているからいいじゃん?と思うかもしれないけれど、その仕組みを考え出して、導入し続ける、そこには、見えないコストと負担がかかってるのです(それでもたまに抜けてポカする・・・それでやっと人並みくらいのポカ?)。
 

覚悟をすることとADHD

そして、今日初めて、そういうADHD持ちとしての自分の感覚と、覚悟ができない自分がつながったのでした。

あることについて覚悟することは、自分を信じることであり、自分に期待することでもあります。

子どもの頃に決めた、私は絶対にいじめられない(いい人を演じる!)っていう覚悟は、今思えば、外からの刺激に対するレスポンスとしてだけ、成立する覚悟なのです。いい人を演じるのは、相手ありきですから。自分一人ですること、ではない。

でも仕事での覚悟は、まったく違う。外野は関係ないです。自分がこれをやると決めたことを、実際にやる、という地道な繰り返し。。。。。。

やると決めたことを、自分が確実にやれる!と信じて、やる自分に期待することは、、、、、、

この時間にこうしよう、っていくら強く思っても、そのときに別の刺激で頭がいっぱいであれば、別の刺激の方にいってしまう。そこに「私」の介入はできない。私じゃない感じ。私が私の決めたことを遂行すると信じられない。

もちろん、そういう自分を変えたかったけれど、、、、病院にも行ったし、薬を飲めばその特性が改善されることも知ってはいるけれど、昔短期間飲んだとき、別の意味で自分が自分じゃなくて怖くなったから。

だから私はもう、自分の特性といかに折り合いを付けるか、それだけだと、、、悩むことはやめて、変えることもあきらめて、受け入れることにしたのです。
 

IHキネシオロジーによる調整

で、今になって、それを調整できるって・・・・・・・?????????
施術中は、現実だとは思えなくて、夢を見ているようでした・・・・。

脳の統合率というのをキネシで取ってくださり、調整前は0〜100%の中の0%(!)だったのが、調整後は95%に。左側の脳が特にうまく働いていなかったそうです。左脳優位だと思っていたので意外。

今のところは、まだ試運転状態というか、はっきりした変化を実感しているわけではありません。翻訳の納期祭り真っ最中なのにブログ書いてるくらいですから。。。。変化といえば、妙に眠いのと、全身筋肉痛のようなだるさがあるくらいかな。しばらく様子を見て、レポしたいと思います。
 

覚悟と責任感

ただ、1日経って気づいたことがひとつあります。

「覚悟」を決めるということと、「責任感」はつながっている、ということです。

前、ふとっしー(園山先生)のキネシオロジーで「強すぎる責任感」と出て、その意味が分からないと書いたけど、最近、その強すぎる責任感の意味が痛いほど分かってきたのでした。

Responsibility と言い換えると分かりやすいのですが、わたしは振ってくるものに対して私が respond しなきゃ(なんとかしなきゃ)!!!と思いすぎる傾向にあったのだと思います。

たとえば、相手がこう言った(ここまでは事実)、じゃあ私はこうしてあげなくちゃ!と思ってそうする、それによって相手が不機嫌になったり、微妙な空気が流れるなどの事象が発生したとして、わ、私が対応を間違えたからこんなことに!私は本来こうすべきだったわ!と罪悪感を抱く、というような。

相手の感情とかは相手のものなのに、不要な責任感を抱いている、これはあくまで一例ですが。

まぁ、背負いすぎている。そして、ポイントは、自分ではなく、他人が軸だということです。行動の基準が他人だということです。

「覚悟」という言葉で今言っているものは、これまでの「他人軸の責任感」から、「自分軸の責任感」に視点を移すことなのだと思います。

そしてそれは、プリミ恥部さんの言う「気をつかわずに、愛をつかう」とも通じるのだと思います。
 

やっぱりキネシオロジーが好き。

今回受けさせていただいて、やっぱりIH、キネシ、いいなー!と思いました。

わたしにADHD的な問題があるなんて、きょうこさんは知らないわけだけど、「やる側」の概念になくても、私の身体に聴くことで、脳梁の調整とかが出てくるわけです。私が潜在意識的にそれを許可し、望んでいれば、です(わたしの顕在意識が矢も尽き果てて、あきらめていてもね・・・あれ?だからこそ潜在意識の許可が出るっていうカラクリなのか?)。

IHが、というよりも、キネシオロジー全般がそうなのですが。そのとき必要な癒しを起こせる。

特に、IHは体系化されていて、魔法のような調整法がたくさんで、単純に、あー私こういうの大好き♡とトキメキます。

だからといって、キネシオロジーがベスト!と言うつもりはなく、、、、ご縁とタイミングがすべてだとも思います。

私はこれまでずっとずっと長い間、ADHD的な傾向をなくしたくてあがいていたけれど、つい最近まで、私の中では「問題を手放したら困る」という思いの方が、潜在意識レベルでも強かったのだと思います。

この特性を直したい!と思って、効くと言われるセラピーを受けまくれば解消されるかって、たぶんそういうものではないのだと思います。変化が起こるかどうかのトリガーは、メソッドの選択にあるのではなくて、自分の思いの中(それこそ「覚悟」)にあるのでしょう。。。

わたしの場合は、なぜか、それを手に入れることを完全に諦めた時に手に入るようです。対人恐怖の解消もそうだったし、思えば、パートナーもそうだったわ・・・・・・。


IHキネシオロジーのきょうこさんのブログはこちら:こころとカラダを癒やす旅
 
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