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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

境界線と総構えとスパルタ鍼灸院と触れること

昨日の夜、「ブラタモリ」で小田原城についてやっていて、「総構え(そうがまえ)」(リンクはWikipedia)というものを知りました。

つまり、小田原城には城を囲むお堀のほかに、城下町全体を囲む外郭(外側のお堀など)があって、城だけでなく、町全体が守られていた、というのです。小田原城がお手本になって、全国各地に広まったのでは、というのが昨日の番組の趣旨でしたが・・・

その情景をテレビで見たとき、ものすごく親しみ深いものを感じて、、、、なんだろ、なんだろ、と追っていったら、対人恐怖の私の頭ん中でした・・・・・・。

「対人恐怖」っていうのは、私の、もう手放したはずの、古いアイデンティティでして、でも、物心ついたときから数年前まで持ち続けていたアイデンティティなので、時折顔を出します。

顔を出すどころか、、、、、手放したのは「アイデンティティ」、自己認識だけであって、中身は変わってないんじゃないかと思います。何年か前のわたしが聞いたらがっかりするかな。

それまでは、対人恐怖の解決に人生のすべてをささげていたので、対人恐怖を解決しようとしなくなったとき、、、「対人恐怖はもう問題ではなくなった!」と決めたときは、すべての問題が解決したかのようでした。。。実際、大きな転機でした。おかげで、人生の他のことにエネルギーを割く余裕ができました。(Webデザイン、キネシオロジー、食べるためではない翻訳、ボディワーク、タロット、、、、、、 そこから、人生にさまよい始めたことは事実・・・人生の一大目標は失ったけれど、新たな目標を定められないまま、、、というか仕事=人生なのか?www視野狭すぎない?ということに今書いてて気づいたよ・・・><)

でも、今も、家から出るのは大変だし、外に出て人がいるところに一定時間身をさらすと、反動で数日眠りこんだりするところは変わっていません。「継続的な」人間関係も苦手なままです。「継続」が難しいために、いろんな人に失礼なことをしてると思います。

まあ、そのことで自分を責めることはしないと決めたから、そのためにさらに落ち込んでいくことはもうないのですが、そういう自分を100%OK!あなたはありのままで素晴らしい!と受け入れられているかというと、違うよね!本当は、自分になってほしい自分はもっと高いところにあるよね、、、、あったよね、、、と思うのです。。。

つまり、対人恐怖はもう問題ではなくなった、というのは、そう自分に言い聞かせてただけ、もう一枚鎧を自分に着せただけで、やっぱり内奥の「自分」にはアクセスしていない、問題を覆い隠しただけだった・・・というのが最近の発見です。

今、そこにアクセスしていく時期なんだと思っています。嘘のない、本当のところへ。




「総構え」のイメージは、家から出られないときの頭の中です。

総構えの外郭は家です。家から出るというのは、守りなしで敵地に討ち入っていくイメージ・・・・・・・

って、冷静に考えるとおかしいだろ!という感じなのですが。

そんな中、岡田哲也さんのブログのこの記事で紹介されていた、『皮膚という「脳」― 心をあやつる神秘の機能』という本を読んで、はたと気づいたのです。

この本は、皮膚が、心(脳)の役割を果たしているのでは、ということをいろいろな観点から述べたもの(音叉セラピーとも深く関係する面白い考察が書いてあるからそれについてはまた別途書きたいと思ってる)。

皮膚の最大の機能は防御機能、、、、、皮膚は、「自己と社会の境界線」なんですね。

たとえば、海の魚は、体液の塩分濃度が海水よりも薄いため、皮膚(が変形してできたうろこ)を通して海水が侵入しないように、体内の水分を海水に奪われないように、できるだけ、水分を通さない構造になっているんだって。

自他の境界線。

あー、わたしは、自前の、肌感覚による境界線が弱いのかも。

もし、意識の浸透圧というものがあるのなら、私の皮膚は、ほとんど境界線の役割を果たすことなく、ぜんぶを通してしまっている、、、、、

そういえば、私は身体感覚が本当に鈍くて、どこまでが自分なのか分かっていない感じ。モノによくぶつかるし、よく落とすし、よく忘れてきてしまう。自前の境界線の感覚が鈍っている、というのと重なる(忘れてくるのはADHDの一症状だと思っていたけれど、あえて肌感覚と結びつけるよ、肌に触れていることを継続して意識できない、という意味で)。

逆に言えば、わたしの境界線は「総構え」にあり、という感覚。つまり、「わたし」の意識は茫漠と総構えまで広がっていってしまっている。つまり、人の中にいるときは、自分の境界線(総構え)の中に人をたくさん入れてしまっているということで、ダイレクトに人の意識が自分の中に入ってきてしまうし、それによって疲れ果てる。自分が何を思っているのかも分からなくなる。。。




という気づきが起こる少し前の昨日の昼間、以前のりこさんが「福岡ースパルタと占い 」という記事で紹介されていた、福岡のスパルタ鍼灸院に行っていました。

どんどん脇道にそれていくから、詳しい説明は省くのだけど(いやそもそも、説明できるほど分かってないけど)、私の顎がですね、4歳くらいから発達が止まってる、ということが発覚。

顎の下の方の筋肉について「これ、お母さんの母乳を飲むために必要な筋肉ね。大人になったら必要ない筋肉。でも退化するどころか、どんどん強くなってる」

私は顎を噛みしめてしまう癖が強くて、それを意識して直せないと、顎関節症も治らないよね、、、と半ばあきらめていたのですが、舌の組織が癒着してしまってるんですって・・・・・だから、そこを直さないと、力を抜こうと思っても抜けないよね、という状態なんだとか。もちろん意識も大切だけど、構造上動かないものを、動くように意識だけでもっていくことは難しい、そりゃそうだわ、と。

口を広げる施術は、のりこさんが「治療中、たぶん5回ぐらいは死にました」と書かれているように、もう涙が出るくらい痛かった、、、、、でも、終わったときの爽快感!目が大きい!全身が軽い!身体のこれまで動かなかったところが動く!



あーやっぱり話がそれてしまったけど、4歳。私が一番、生きているのが辛かった頃です。幼稚園は、いじめられるだけで何の希望もなかった。大人になったら何になりたい?と聞かれても、内心、あと何年とか何十年とかこの辛い世の中を生き続けるとかイメージわかねぇ、、、と思ってた頃。

その頃、わたしは、母と一心同体でした・・・・・・。

その頃、、、私が幼稚園でいじめられても、母は私の気持ちにより添ってなんてくれなかったじゃないか!むしろ、母のために、母を悲しませないために、わたしがどれだけ自分を犠牲にして、辛さを隠しとおしたか!という怒りは、成人してから冷静に振り返って出てきた、大人のわたしの怒り。

その頃、当のわたしは、母と一心同体で、幸せでした。

母が感じている焦りや不安や喜びや羞恥心などをすべて、自分のもののように感じて、それを先取りして、母を悲しませない、母を喜ばせることに夢中になっていたし、それがわたしの世界のすべてだったなぁ、、、、、その胎内にいるような安心感を、突然思い出したのでした。いつも見上げてた、若かった母の背中。

母と一心同体でいるとき、自分の肌感覚は不要だった、ということに気づきます。

肌感覚は、狭い、自分のものだから。それをちゃんと感じてしまうと、母が感じる感覚とは違う感覚がそこにあって。それは、感じては、ならない。

どこかで、自分の感覚を封じた瞬間が、あったのだろうな、と思います。

顎の成長が止まると、精神年齢も止まるそうです・・・・・・。わたしの精神年齢4歳だって!と夫に話したら、しみじみ納得されて、私も、悲しいけど、納得なのです。

今、必要なのは、あの温かかった一心同体から自立して、自分の感覚を育てること。ここからが本当の親離れ、なのだと思う。

顎については、鍼灸院の平井先生に助けてもらうとして、今、自分でできることは。
 

自己受容度の低い大学生に、セルフマッサージを1日5分、1週間続けてもらった。その結果、回を重ねるにつれて自己受容度が高くなっていくことがわかった。1ヶ月後には普通の人と同程度までに高まった。
自己受容度の低い人は、普段から自分を大切に思うことが少なく、自分自身の容貌や境遇を受け入れることができていない。

(中略)

施術者である自分自身との関係が、信頼のおける親密な関係になることで、自分自身を信頼して、受け入れる気持ちが養われたのだと思う。

皮膚という「脳」― 心をあやつる神秘の機能 p163


と先ほどの本にあって、すごく納得したのでした。

わたしは、セルフマッサージが続いた試しがないし、自分の肌への働きかけ全般に抵抗があったのですね。いくらキネシで(自分の潜在意識に)勧められようと、やり方を習おうと、メイクすることが嫌いで、そもそも肌に何か塗るのが嫌い。リップクリームも、日焼け止めすらも、ガサガサ唇で日焼けしてるほうがマシと思うほど嫌い。。。

なのは、肌、つまり、自前の境界線を意識することへの拒否だったのかも、と。



と同時に、わたしは、「五感」というものを、皮膚とは独立したものとして、扱ってきたように思います。(あ、触覚は皮膚だと分かるんだけど)たとえば、音は、耳で。光は、目で。自分の周囲の景色を、小さな開口部から覗き見てた。それがわたしにとっての世界のイメージ。音を聞くとき、光を見るとき、肌は単なる壁。

でもこの本は、皮膚は音も感じるし(脳に伝わって知覚するということではなくて、皮膚自体が感じる。耳には聞こえないような周波数域の音も含めてね)、光も色も感じるといいます。盲目であったヘレン・ケラーは、色の違いと濃淡を、指先で感じることができたのだそうです。

鍼灸師の竹村 文近さんは『響きあう鍼灸』で、「どこに鍼を打てばいいかは暗記した人体図で決めるものではない。極論すれば、手に目がついてさえいれば、ツボなど覚える必要はないのだ」と語っています。



みちよさんのクラスを受けたときに、五感を使おうという宿題があって、大好きな深大寺温泉に浸かりながら、キラキラ光る水面、木漏れ日、揺れる葉っぱ、降り注ぐ水の音、、、を見ました、、聞きました、、、えーっと、一応感じました、けど、五感使うってこれで合ってますかね?と思ったことを覚えてる。

昨日、お風呂の中で、自分の「触覚」であえて水を感じようと意識してみたら、これまでにない深いリラックス感を得ました。みちよさんが言っていた五感というのは、コレだったのかもしれないと思いました。。。

わたしは五感を感じる中心が脳にあると無意識に思いこんでいて、すべての感覚を脳でとらえようとしていました。でも、触覚でダイレクトに感じる、音も光もって、それはとても大きなヒントかもしれない。

触覚は、目などと違って、錯覚が非常に少ないのだそうです。つまり、騙せない。脳で一元管理していないからこそ、騙せない。嘘をつけない。

触覚を使っていくことは、嘘をつかないことにもつながるかもしれない。



そういうわけで、すごく長くなったけど、自分の肌を触ることで、触覚を意識することで、自前の境界線を育てていけるかもしれない、やってみよう!という記事でした!

 
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東京書籍
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(2015-03-20)
コメント:「五感」について重要な気づきを与えてくれた本

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