sakura-blossom

福岡&遠隔でヒーリングもやっています

外からの「情報」は答え合わせ

自分で考える

→こういうことか!と理解する・気づく

→それと同じことを本で読んだり、人から聞いて答え合わせする

 

っていう順序で起こることが、最近、多いです。

 

自分では、ずっと、逆の流れだとばかり思っていたのに。

本を読むことで、新しい発想を得て、自分なりにやってみて、考える、の順だと思っていたのに。

逆なんですね・・・

 

本や、人の言葉は、新しいことを学んだり、新しい境地に触れるためではなくて、自分でたどりついた理解の答え合わせ+αにつかう・・・そんなイメージです。

 

もしかしたら、私は特に、誰かに答えを教えてもらうんじゃなくて、体当たりで、実感して、自分でつかみ取りたい、という気持ちが強いタイプなのかもしれませんが、、、

 

この「流れ」について最初に「ん?」と思ったのは、はっしーさんの本のワークを最後までやったときだったと思います。

 

この記事を書いたときは、眠くてそこまで書き切れなかったんだけど、本当は、このとき、ワークそのものの成果以上に、印象的だったのは、そのほんの少し前に気づいて「やりたいことなんてなくていい」という記事にまとめたばかりのアイデア(やりたいことがない、っていうのは、「やりたいこと」を大きく捉えすぎていただけなのでは、という気づき)そのままが、あのワークブックの最後の方に書かれていたことでした。

 

最近では、​マインドマップと生命の樹って似てるよね〜♪という気づき(この記事参照)から、「生命の樹」に一気に親近感がわいて、気づいたらマツキヨさんの本が読めるようになったわけですが、マツキヨさんのパスワークの本(この記事参照)の後書きに、この本はマインドマップ(iMindMapというソフト)をつかって書いたと書いてあるではないですか。

 

これは別に、マインドマップと生命の樹との関係を言っているわけではないので、厳密にいえば違うんだけど、先の記事に書いたメッセージ(枠組みを使えば今見えてない領域を扱えるようになる)は、まさに、タロットのパスワークの発想でもあるということが分かりました(「何も道具がないと、偏ったところばかりを探索することになります。……今まで全く馴染んでいなかった、それがあることさえ知らなかったという「道」を、このパスワークの中で見つけ出すことができると思います。 「あなたの人生を変えるタロットパスワーク実践マニュアル」 p25)。

 

こうやって、現実レベルで見つけたり、再確認したりする、その「答え」なるものは、私の「問い」ありきで、返されてきているもの、という感覚があります。

 

自分が問うたもの――別の言葉でいえば、教えてほしいと願ったもの――について、タイムラグがあっても、答えがもたらされているようです。

 

そういう意味で、自分の発信が最初なのですね。

 

『A New Earth』の朗読が長い間、見事に馬耳東風だったのも、その時点では自分の中で対応する発信(問い)がまだなくて、キャッチできなかった、ということかもしれません。

 

わたしの発信も、複合的で、無意識なのもあって、おおもとの「問い」は自分でもこれとは言えないけれど、今今、降りてきているたくさんの答えは、具体的レベルでいえば、「この惑星音叉たちを使いこなせるようになりたいです!惑星音叉の使い方を教えてください!!!」と、惑星音叉を手にしたときに強く願ったことに、端を発している気がしています。

 

惑星音叉を手にしたのが4月30日。その間、約2か月(去年手にした惑星音叉は地球〜月までのみで、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星、キロンの周波数の音叉を手にしたのが2か月前)。

 

惑星音叉は、ただ鳴らすだけでもパワフルなんだけど、使いこなせばすごいことになる、と直感してるのです。まだ、今の時点では、使いこなせてはいないけれど、確実に惑星とお近づきになってきている実感があります。

 

マツキヨさんは、私にとって、星(だけじゃないなぁ・・・ほんとは)の叡智との仲立ちをしてくれる人のイメージなので、マツキヨさんの言葉が分かるようになったのは、第一段階として、とても嬉しいです。

 

他にも立てている「問い」や「願い」があります。

 

今、それについても同時に答えがきてて、それこそ、マツキヨさんの本に書いてあったりするんですよ!読めるようになって初めてそこにアクセスできるという。

 

本当に面白いです。

 

野河内渓谷(のごうちけいこく) / Nogouchi River Valley, Fukuoka, Japan

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チューニングの変化

大きい変化が起こっているときほど書かない、というよりも、書いてる場合じゃなくなるって感じですね。

 

また少し間があいてしまったので、余計、一体どこから書けばいいのか、、、

でも、「出す」必要性は、あいかわらず感じています。

 

とりあえず、生命の樹の22日間のワーク、始めます!と書いた件は、やっています。でも、前の記事に書いた生命の樹の本にあるワークというよりは、マルセイユタロットのパスワーク&お絵描きになってしまっていますwww

 

っていうのは、生命の樹に馴染んだら、急にマツキヨさん(松村 潔さん)の本がアタマに入ってくるようになった!!!んです!!!

 

マツキヨさんの本はこれまで、何冊も積ん読にしていて、パスワークの本もその中の一冊でした。

 

それが、ワークの初日、久しぶりに手に取ったら、すごく「分かる」ではないですか。完全に分かるとはいいません。でも、頭に入ってくる!!!これまでは、何か分厚い膜を通して読んでいるようだったのに、ちゃんと入ってくる!

 

おそらく、マツキヨさんが分かりやすくするために引き合いに出しているはずの図形(生命の樹など)に、私が拒否反応を起こしていたから、頭に入らなかったんでしょうね。。。

 

しかも、この本には、マツキヨさんが吹き込んだパスワーク用の音源(誘導瞑想&バイノーラルビート)もついていて、それが素晴らしい〜!そこからの気づきも一杯あるのですが、そこを書きはじめると終わらないのでやめておきます。

 

そんなわけで、この1週間は、毎日1枚、タロットのパスワークをして、絵を描いていました。

 

曼荼羅ではないけれど、まゆさんに教わったパステルの技法もどんどん試してます。画像アップもしたいけど、PCに読み込むのが追いつかないのでそれはまたいずれ。

 

で、毎日マツキヨさんの声を聞いていたせいか、マツキヨさんの別の本も読めるようになっていることに今日気づきました!嬉しい!

 

そして、つながっているような、そうでないような、でも私にとって大きい、今週起こったもうひとつの事件。

 

 

この本の著者本人朗読のオーディオブック、何年も前に買い、その間、何度聞き始めても、まったくアタマに入ってこなかった(意味のある言葉として認識できない、なんだかムニョムニョ言ってるだけに聞こえる、言葉として認識できたとしても今度は訛りが気になってしょうがない(汗)、眠くなる、止めたくなる)のに、、、たった数か月前にも聞こうとしてみて、ムリだったのに、数日前から、急に、スーッと入ってくるようになってました。

 

まだ初めのほうだけしか聞いてないけれど、、、、もう感動モノですよ!どうして、これが「分からなかった」のか不思議なくらい、すーっと心に入ってきます。

 

聞ける、読める範囲が一気に増えた、1週間でした。

 

なんだか、脳のチューニングが変わったような感じです。

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マインドマップと(カバラの)生命の樹(22日間のワーク、始めます!)

※さっきはあわてていて、編集したはずのものが消えたりしているものをアップロードしていたようだったので、後から大幅に書き直し、タイトルも変えました。

 

棚ぼたの日々。。。棚からぼた餅が落ちてきて、ぼた餅を食べていると、また別のものが落ちてきて拾う、すると、、、みたいな。

それが、あれこれ同時多発的に起こって、複雑に絡み合ってるんですね。もう、どんどんつながる。

 

すべて書くのはムリがありますが、今はちょっと情報が飽和気味で、出したい(ガス抜きしたい)気分です。

 

起こっていることはすべてが絡み合っていて、切り取り方によって全然ちがう話になるっていうことを先に書いておきますね。先に書いているから先に起こったわけではないです。便宜上、直線化しないと文章にならないので、そういう話の流れにしているだけです。

 

***

 

ここ数年は普通のノート(ページの最初から最後に向かって直線的に文章を書く)に戻っていたのですが、最近また、マインドマップをよく書くようになっていました。

 

マインドマップってこういうやつです(Flickrで適当に検索してきた画像)

マインドマップ

 

マインドマップは中心にテーマを表すイラストを描き、そこから放射状に木の枝(ブランチ)を伸ばしていきます。​詳しい説明はWikipediaなどで。これはパソコンのソフトを使って描いてあるけど、私はもっぱら手描きです。

 

 

 

話は変わりますが、先日、​パステルと曼荼羅の記事で書いたパステルの先生、まゆさんは、生命の樹カウンセラーでもあって、そこから(そのあたりの経緯も面白いのですが省略してw)、カバラの「生命の樹」と出会いました。

 

カバラの生命の樹はこういうのです。

Tree of Life Kabbalah

 

最初、この本を読んだとき、あまりピンと来なかったんですが。

 

昨日偶然、別のことを調べていて知ったのは、カバラの生命の樹の図は、木としては、天地が逆の「さかさまの木」らしい!ということ。天が根っこ!地が葉っぱ!

 

ロバート・フラッドの「生命の樹」

ロバート・フラッドの「生命の樹」

 

今朝、マインドマップを眺めていて思ったんですが、マインドマップもまさに世界樹だなぁと。生命の樹と、、、似てる!!!

 

マインドマップのセントラルイメージは生命の樹の根っこの部分みたいだし、生命の樹はまるで1ブランチのみのマインドマップみたい。

 

ああ!カバラの生命の樹は、全体の構成、つまりブランチや分岐点が(覚醒のために!?)すでに最適化されている、一種のマインドマップだ!と考えると、私にはものすごくしっくりきました。

 

(どちらも「意識の地図」ですし。)

 

もともと、タロットのパスワークつながりで、ちらっと図を見たことがあるくらいで、全部の丸(スフィア)だけでも覚えきれないのに、なんでそれをつなぐ線の方が大アルカナやねん!!!などと思っていたのですが、マインドマップで考えれば、マインドマップにはブランチしかない、分岐点には名前もつかないし意識もしないわけで、大切なのは、むしろ、線のほうなのですね。

 

それは、「木」のイメージで考えれば、至極当たり前のことでした。幹や枝が途中で折れてるのに、その先の枝もしくは花や実だけあるって、ありえないですからw

 

マインドマップを習ったとき(山口佐貴子さんから。素晴らしい講習でした)、枝は書いちゃったけど、書くことが思いつかないから空欄にしとこう、っていうのはNGだと教わりました。枝を伸ばしたからには、必ず、潜在意識的にはそこに何かあるので、徹底的に探れば出てくると。

 

「生命の樹のワーク」はそういうことをやるのかもしれない、とおぼろげながら思っています。

 

つまり、普通、「見えない」ものは目指せないんだけど(普通に自由にかくマインドマップは、今見えている部分だけのマップ)、生命の樹の枠組みを活用することで、見えてないけど、ここに何かあるはず!として、視野に入れる、扱えるようにする。。。

 

で、強引に、何かあるはず、と思い、あるつもりで過ごしていると、あるとき「ハッ!」とつながったりするのでは。

 

つまり、枠組みを借りることで、今の自分よりも上の次元の自分で見る視点を手に入れられる、、、のかもしれません。

 

まわりまわって、さっきの本のワークはかなり良いかもしれない、と気づきました(汗)

 

というわけで、今日(新月前夜)から、↓の本にある生命の樹の22日間ワークを開始します。

 

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「見えない」ものは目指せない

『脱・偽り人生 ~本気の自己認識ワークBook~』をやり終えた直後の感想からの流れの「今」のシェア、取り急ぎ、です。

 

最近始めた無料講座のこれが、すっごくいい!!!です。

ビジネスコアプログラムメール講座

 

秦 由佳(ハタユカ)さんという、とっても魅力的な文章を書かれる方がやっているもの。本講座は有料だけど、このメール講座は無料。


こういうのって、どうせ有料講座への誘導・宣伝目的で、内容薄いやつでしょ、、、と、実はあまり期待していなかったのですが(ハタユカさんが出すものだから、変なものではないだろうという信頼はありつつ)予想のはるか上を行く、本格的な講座でした。普通に、本になってもいいくらいのレベルだと思います。

 

この講座のテーマである仕事&お金って、自分が自分をどう認識しているかがそのまま表れるところなので・・・・・・私にとって、(はっしーさんの)自己認識ワークの続きが始まった!みたいな感じで、とってもタイムリーなのです!

 

まだ2日目なんですけどね。

 

今までずっと、分かりたいけど、分かれない、アタマでは分かるけど、自分のこととしては認識できなかった「今を感じる」っていう感覚が、1日目のワークだけで、体感として腑に落ちました・・・・・・(完全に自分のモノにしたかというと、それはまだ余地があることは分かっているんですが、自分の中では0→1的な変化!)。

 

ただ、これもタイミングで、はっしーさんのワークをやっていなければ、今回のワーク、腑に落ちなかったかもしれない、と思うのです。スルーしちゃったかも。

 

はっしーさんのワークでは、「過去」を見つめました。自分の闇も、醜いところも、痛かったところも、楽しかったことも、すべてを「見る」という作業をしました。

 

ハタユカさんのワークでは、「今」を見ます。「今」の自分の闇も、ダメなところも、苦手なところも、もちろん得意なところも、すべてを「見る」。そのためのワークになっています(まだ2日目なんで、この先は分かりませんが)。

 

「今」にいる、ってね、もう、耳にタコができるくらい、聞いてきたけれど、、、

どうすれば「今」にいられる、っていう方法論もいろいろ聞いてきたけど、、、

 

続かなかったし、自分のものになっていませんでした。

 

結局、「今」を「見る」感覚が分からない間は、そもそも「今」がどこにあるのかも「見えない」。だから、「今」にいなさいと言われても、真っ暗闇の中で「あっち」へ行け、と言われているようなもので、不安と焦りしか生まれなかったのは当然かもしれません。

 

「今」を見るには、まず、「ただ見る」練習が必要で、そのあたり、はっしーさんがパワフルだったなぁ、と思います。

 

もうひとつ、この「見る」というテーマについて大きなヒントになった別の人の講座(それも無料講座だわ・・・すごい時代になったものです)があるんですが、それはまた別の機会に!

 

 

Giant Kuroneko (black cat)

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やりたいことなんてなくていい

「やりたいこと」神格化現象の中で の続きです。

 

文章は子どもの頃からずっと書いてきました。ただ、書くと心が整理されて、気持ちが軽くなるからです。書き始めるときには、どこへ行き着くか分かっていなくて、ただガスを抜くように、出てくる言葉を書き続けていると、突然、目の前が開けるように、「これが書きたかったんだ!」という結論やメッセージが出てきてスッキリする、というのが、私のいつもの書き方でした。
 
書きながらメッセージに辿り着くその瞬間まで、私は自分が何を書きたいのかも分かってない、それが当たり前でした。
 
だから、「あ、書こう」とは思うけれど、「書きたいものがある」というのとはちょっと違います。何を書くか、はまったく重要じゃないし、書き始める時点では分かってません(「書きたいものがある」と思っていることもたまにありますが、大体、書き終わったときには別物になっていますw)。

 

このブログも、そういうプロセスの繰り返しでできています。

 
これまで「排泄行為」だとばかり思っていたこのプロセスを「創造」と呼んでもいい、というのが最近の一大発見で、私にとっては大きなブレークスルーでした。

 

排泄行為から創造活動への昇格です!!!
 
これを「クリエイティブ」って呼んでいいんだ!ということを最近、受け入れました。許しました。だから、ブログを書くのも一気に楽しくなったんですね。

 

自分が生み出すものは、存在する価値がある(廃棄すべきものではなくてね​)。

 

それは、「自分がここにいていい」「生きていていい」と同義です。。。。。。

 

ということは、、、クリエイティビティの感覚って、自己肯定、存在価値の感覚そのものだったんですね。

 

自分がここにいていいとしたら。価値あるものを生み出さなくてもいいなら。生きているだけでいいなら。。。。。。

 

やりたいことなんてなくていいと、やっと、本当の意味で納得したんです。

 

もっと正確に言うと、「やりたいこと」なんて「分からなくていい」から、やりたいことをやっていい、かな。なんだか禅問答みたいですが。

 

「やりたいことをやりなさい」・・・よく聞くスピ系のアドバイスですね。私はこのアドバイスにずっと従おうとしてきたけれど、ずっと、その「やりたいこと」を何か具体的な対象だと思っていたんです。
 

そうじゃなくて、やりたいことをやっていいってのは、「あ、書こう」「あ、食べよう」みたいな原始的な思いつきのようなもので十分で、それを抑圧せずにやっていいってことなんだ、とやっと理解したんですね。

 

私が見落としていたのは、単なる衝動にしか思えない、くだらない、意味もない、お金も稼げない、どう考えても今それをするのは合理的ではないと思う、誰かに認められるわけでもない、どっちかというと世間的にはアウトかも、、というような、どうでもいい心の声に従っちゃっていいんだ!!!っていうところです。「やりたいこと」はもっと大層なものだと信じ込んでいたので。盲点でした。

 

そう考えてみると、ふと「あの人にメールしよう」とか「この辺汚れてるから掃除したい」みたいな些細な思いつき・衝動は日々たくさんあって、そのほとんどを「今は仕事でしょ!」とかバッサリ却下してたんですよ、無意識に。良かれと思って。そうするのが当然だと思っていたから。衝動に従っちゃった時は、後悔までしていました。本当は今日は○○をしなければならなかったのに、あそこを掃除しただけで1日が終わってしまった・・・みたいに。

 

でも「やりたいことをやる」っていうのは、おそらく、そういう些細な些細な思いつきをぶった切らずに、ひとつひとつちゃんと聞いてあげて「やる」ことのような気がします。そうするようになったら、いきなり生きるのがラクになったから。

 

(ここで私の場合はADHDの話に繋がります。ADHDのコントロールっていうのは、まさに衝動のコントロールだったので。衝動を叱りつけて、縛り付けて、あるべき自分を作り出そうと必死だったけど、そういうコントロールは最小限でいいんですね。むしろ、ADHD的衝動を利用するのです!)
 

私は「やりたいことをやりなさい」「ワクワクすることをやりなさい」という言葉を、「やりたいこと(ワクワク)がなくてはならない」と勝手に誤解して、自分を縛っていたんだなーと思います。まるで、「やりたいこと」や「ワクワク」が分からないと動けないような気にすっかりなっていましたからね。

 

「何を」どうするという具体的な目的とか意味とか手段とかは別にどうでもいいから、分からなくていいから、分かるのを待たずに「ただやる」だけでいいみたいです。ただし、「やったほうがいい」ことはやらないこと。「やったほうがいい」って言ってるっていうことは、やりたくないのだから。このワナによく引っかかるんですよね〜。別の言葉でいえば、「やる」ことを、価値を勝ち取るために利用しないこと。
 

わたしは、何かを「やりたい」という気持ちが喉から手が出るほどほしかったけれど、この飢餓感、私が誤解して創り出したものだった、と思うようになりました。

 

その誤解ワールドから抜けるには、たぶん、「勇気」が鍵なんじゃないかと思います。


「やりたくない」声のほうが「やりたい」声よりも分かりやすいから、先に聞こえはじめると思うんですね。そうすると、「とにかく何にもやりたくない!!!」その声に従ってあれもやらない、これもやらない、ということを積み重ねていくのは、、、それは、自己価値を「やること」によって勝ち取っていた人にとっては、ものすごい罪悪感と恐怖ですよ。

 

それは世界が崩れ落ちるような、自分の居場所がなくなるような、、、死の恐怖に近いものがあると思うのですが、その恐怖を乗り越える勇気。だって誤解なんですよ。

 

そして、やりたいことがふと出てきても、具体的にどうとかはよく分からない・・・。分からなくても「ただやる」ことが鍵だから、「分からない」不確定な状態に耐える勇気も必要かもしれません。

 

それをやっていくとだんだん、分からなくても自分は常に何かを生み出していることに気づき、すでにやっていることの中に価値は元々あることに気づき、価値あることを生み出すことで自分に価値が付くんじゃなくて、もともと自分に価値があるんだ、っていう世界観にシフトしていくんだと思います。

 

そう、結局、単に「見方」の問題でした。


「やりたいことがない」ってずっと言ってきたけれど、一瞬一瞬をちゃんと見てみれば、何かをやりたくて何かをやってました。ただ、当たり前すぎて「何もやっていない」と錯覚していただけ。

 

何でもいいから、ただやれば、それをやったことで、そのときの自分の周波数に合ったことがおのずと起こってくる・・・・・・それは意識するしないにかかわらず起こっていて、今目の前に起こっていることもすべて自分の反映なんですね。つまり、何もやっていないつもりでも、何もやりたくないと思っていても、どうせ、一瞬一瞬、私たちはクリエイトしているんですね。


逆にね、分からないままにクリエイトするということは、無意識さんが表れやすいってことですから、自分とつながるにはもってこいとも言えるかもしれません。

 

さらに、ここからはおまけですが、具体的には分からなくても、意図(intention)(こないだの例で言えば、キネシオロジーと私の関係についてもっと分かりやすく見せて!というのが意図です)だけ打ち上げておけば、無意識さんが勝手に働いて、見せてくれる・・・・・・これは体験すると分かりますが、完全に”エネルギーワーク”のレベルで、素晴らしいヒーリングですw

 

意図をもって何かを作ると、どうもその意図に合わせて周波数が調整されるようなんですね。だから、意図をもってクリエイトすると現実が変わっちゃいます。本当に不思議なんだけど。

 

そして、実は音叉ヒーリングの原理も一緒だったりします・・・^^

 

落ち着けわたし、そのままでいいのだ、分かってなくていい、うまくなくてもいい、ただやれ。必要なのは意図だけだ、と昔の私に言いたいですw

 

ああ、ロンさんの言う「意図」の意味が分からなくて去年混乱してたのも意味があったのだなぁ・・・あらためてロンさんの言葉をお借りして、"Intention is everything. (意図がすべて)" は真実だと実感しています。

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