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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

「見えない」ものは目指せない

『脱・偽り人生 ~本気の自己認識ワークBook~』をやり終えた直後の感想からの流れの「今」のシェア、取り急ぎ、です。

 

最近始めた無料講座のこれが、すっごくいい!!!です。

ビジネスコアプログラムメール講座

 

秦 由佳(ハタユカ)さんという、とっても魅力的な文章を書かれる方がやっているもの。本講座は有料だけど、このメール講座は無料。


こういうのって、どうせ有料講座への誘導・宣伝目的で、内容薄いやつでしょ、、、と、実はあまり期待していなかったのですが(ハタユカさんが出すものだから、変なものではないだろうという信頼はありつつ)予想のはるか上を行く、本格的な講座でした。普通に、本になってもいいくらいのレベルだと思います。

 

この講座のテーマである仕事&お金って、自分が自分をどう認識しているかがそのまま表れるところなので・・・・・・私にとって、(はっしーさんの)自己認識ワークの続きが始まった!みたいな感じで、とってもタイムリーなのです!

 

まだ2日目なんですけどね。

 

今までずっと、分かりたいけど、分かれない、アタマでは分かるけど、自分のこととしては認識できなかった「今を感じる」っていう感覚が、1日目のワークだけで、体感として腑に落ちました・・・・・・(完全に自分のモノにしたかというと、それはまだ余地があることは分かっているんですが、自分の中では0→1的な変化!)。

 

ただ、これもタイミングで、はっしーさんのワークをやっていなければ、今回のワーク、腑に落ちなかったかもしれない、と思うのです。スルーしちゃったかも。

 

はっしーさんのワークでは、「過去」を見つめました。自分の闇も、醜いところも、痛かったところも、楽しかったことも、すべてを「見る」という作業をしました。

 

ハタユカさんのワークでは、「今」を見ます。「今」の自分の闇も、ダメなところも、苦手なところも、もちろん得意なところも、すべてを「見る」。そのためのワークになっています(まだ2日目なんで、この先は分かりませんが)。

 

「今」にいる、ってね、もう、耳にタコができるくらい、聞いてきたけれど、、、

どうすれば「今」にいられる、っていう方法論もいろいろ聞いてきたけど、、、

 

続かなかったし、自分のものになっていませんでした。

 

結局、「今」を「見る」感覚が分からない間は、そもそも「今」がどこにあるのかも「見えない」。だから、「今」にいなさいと言われても、真っ暗闇の中で「あっち」へ行け、と言われているようなもので、不安と焦りしか生まれなかったのは当然かもしれません。

 

「今」を見るには、まず、「ただ見る」練習が必要で、そのあたり、はっしーさんがパワフルだったなぁ、と思います。

 

もうひとつ、この「見る」というテーマについて大きなヒントになった別の人の講座(それも無料講座だわ・・・すごい時代になったものです)があるんですが、それはまた別の機会に!

 

 

Giant Kuroneko (black cat)

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やりたいことなんてなくていい

「やりたいこと」神格化現象の中で の続きです。

 

文章は子どもの頃からずっと書いてきました。ただ、書くと心が整理されて、気持ちが軽くなるからです。書き始めるときには、どこへ行き着くか分かっていなくて、ただガスを抜くように、出てくる言葉を書き続けていると、突然、目の前が開けるように、「これが書きたかったんだ!」という結論やメッセージが出てきてスッキリする、というのが、私のいつもの書き方でした。
 
書きながらメッセージに辿り着くその瞬間まで、私は自分が何を書きたいのかも分かってない、それが当たり前でした。
 
だから、「あ、書こう」とは思うけれど、「書きたいものがある」というのとはちょっと違います。何を書くか、はまったく重要じゃないし、書き始める時点では分かってません(「書きたいものがある」と思っていることもたまにありますが、大体、書き終わったときには別物になっていますw)。

 

このブログも、そういうプロセスの繰り返しでできています。

 
これまで「排泄行為」だとばかり思っていたこのプロセスを「創造」と呼んでもいい、というのが最近の一大発見で、私にとっては大きなブレークスルーでした。

 

排泄行為から創造活動への昇格です!!!
 
これを「クリエイティブ」って呼んでいいんだ!ということを最近、受け入れました。許しました。だから、ブログを書くのも一気に楽しくなったんですね。

 

自分が生み出すものは、存在する価値がある(廃棄すべきものではなくてね​)。

 

それは、「自分がここにいていい」「生きていていい」と同義です。。。。。。

 

ということは、、、クリエイティビティの感覚って、自己肯定、存在価値の感覚そのものだったんですね。

 

自分がここにいていいとしたら。価値あるものを生み出さなくてもいいなら。生きているだけでいいなら。。。。。。

 

やりたいことなんてなくていいと、やっと、本当の意味で納得したんです。

 

もっと正確に言うと、「やりたいこと」なんて「分からなくていい」から、やりたいことをやっていい、かな。なんだか禅問答みたいですが。

 

「やりたいことをやりなさい」・・・よく聞くスピ系のアドバイスですね。私はこのアドバイスにずっと従おうとしてきたけれど、ずっと、その「やりたいこと」を何か具体的な対象だと思っていたんです。
 

そうじゃなくて、やりたいことをやっていいってのは、「あ、書こう」「あ、食べよう」みたいな原始的な思いつきのようなもので十分で、それを抑圧せずにやっていいってことなんだ、とやっと理解したんですね。

 

私が見落としていたのは、単なる衝動にしか思えない、くだらない、意味もない、お金も稼げない、どう考えても今それをするのは合理的ではないと思う、誰かに認められるわけでもない、どっちかというと世間的にはアウトかも、、というような、どうでもいい心の声に従っちゃっていいんだ!!!っていうところです。「やりたいこと」はもっと大層なものだと信じ込んでいたので。盲点でした。

 

そう考えてみると、ふと「あの人にメールしよう」とか「この辺汚れてるから掃除したい」みたいな些細な思いつき・衝動は日々たくさんあって、そのほとんどを「今は仕事でしょ!」とかバッサリ却下してたんですよ、無意識に。良かれと思って。そうするのが当然だと思っていたから。衝動に従っちゃった時は、後悔までしていました。本当は今日は○○をしなければならなかったのに、あそこを掃除しただけで1日が終わってしまった・・・みたいに。

 

でも「やりたいことをやる」っていうのは、おそらく、そういう些細な些細な思いつきをぶった切らずに、ひとつひとつちゃんと聞いてあげて「やる」ことのような気がします。そうするようになったら、いきなり生きるのがラクになったから。

 

(ここで私の場合はADHDの話に繋がります。ADHDのコントロールっていうのは、まさに衝動のコントロールだったので。衝動を叱りつけて、縛り付けて、あるべき自分を作り出そうと必死だったけど、そういうコントロールは最小限でいいんですね。むしろ、ADHD的衝動を利用するのです!)
 

私は「やりたいことをやりなさい」「ワクワクすることをやりなさい」という言葉を、「やりたいこと(ワクワク)がなくてはならない」と勝手に誤解して、自分を縛っていたんだなーと思います。まるで、「やりたいこと」や「ワクワク」が分からないと動けないような気にすっかりなっていましたからね。

 

「何を」どうするという具体的な目的とか意味とか手段とかは別にどうでもいいから、分からなくていいから、分かるのを待たずに「ただやる」だけでいいみたいです。ただし、「やったほうがいい」ことはやらないこと。「やったほうがいい」って言ってるっていうことは、やりたくないのだから。このワナによく引っかかるんですよね〜。別の言葉でいえば、「やる」ことを、価値を勝ち取るために利用しないこと。
 

わたしは、何かを「やりたい」という気持ちが喉から手が出るほどほしかったけれど、この飢餓感、私が誤解して創り出したものだった、と思うようになりました。

 

その誤解ワールドから抜けるには、たぶん、「勇気」が鍵なんじゃないかと思います。


「やりたくない」声のほうが「やりたい」声よりも分かりやすいから、先に聞こえはじめると思うんですね。そうすると、「とにかく何にもやりたくない!!!」その声に従ってあれもやらない、これもやらない、ということを積み重ねていくのは、、、それは、自己価値を「やること」によって勝ち取っていた人にとっては、ものすごい罪悪感と恐怖ですよ。

 

それは世界が崩れ落ちるような、自分の居場所がなくなるような、、、死の恐怖に近いものがあると思うのですが、その恐怖を乗り越える勇気。だって誤解なんですよ。

 

そして、やりたいことがふと出てきても、具体的にどうとかはよく分からない・・・。分からなくても「ただやる」ことが鍵だから、「分からない」不確定な状態に耐える勇気も必要かもしれません。

 

それをやっていくとだんだん、分からなくても自分は常に何かを生み出していることに気づき、すでにやっていることの中に価値は元々あることに気づき、価値あることを生み出すことで自分に価値が付くんじゃなくて、もともと自分に価値があるんだ、っていう世界観にシフトしていくんだと思います。

 

そう、結局、単に「見方」の問題でした。


「やりたいことがない」ってずっと言ってきたけれど、一瞬一瞬をちゃんと見てみれば、何かをやりたくて何かをやってました。ただ、当たり前すぎて「何もやっていない」と錯覚していただけ。

 

何でもいいから、ただやれば、それをやったことで、そのときの自分の周波数に合ったことがおのずと起こってくる・・・・・・それは意識するしないにかかわらず起こっていて、今目の前に起こっていることもすべて自分の反映なんですね。つまり、何もやっていないつもりでも、何もやりたくないと思っていても、どうせ、一瞬一瞬、私たちはクリエイトしているんですね。


逆にね、分からないままにクリエイトするということは、無意識さんが表れやすいってことですから、自分とつながるにはもってこいとも言えるかもしれません。

 

さらに、ここからはおまけですが、具体的には分からなくても、意図(intention)(こないだの例で言えば、キネシオロジーと私の関係についてもっと分かりやすく見せて!というのが意図です)だけ打ち上げておけば、無意識さんが勝手に働いて、見せてくれる・・・・・・これは体験すると分かりますが、完全に”エネルギーワーク”のレベルで、素晴らしいヒーリングですw

 

意図をもって何かを作ると、どうもその意図に合わせて周波数が調整されるようなんですね。だから、意図をもってクリエイトすると現実が変わっちゃいます。本当に不思議なんだけど。

 

そして、実は音叉ヒーリングの原理も一緒だったりします・・・^^

 

落ち着けわたし、そのままでいいのだ、分かってなくていい、うまくなくてもいい、ただやれ。必要なのは意図だけだ、と昔の私に言いたいですw

 

ああ、ロンさんの言う「意図」の意味が分からなくて去年混乱してたのも意味があったのだなぁ・・・あらためてロンさんの言葉をお借りして、"Intention is everything. (意図がすべて)" は真実だと実感しています。

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発信しないこと

最近ずっと書いていませんでした。

 

きっかけは次期ハワイ分の翻訳に集中したことでしたが(「書く」エネルギーが全部そっちにいってしまう)、しばらく何も書かず、写真もアップせず、どこに行った、何をしたなどをネット上に垂れ流すことをやめてみて、また他の方のブログを読むこともやめてみて、その生活が想像以上にラクで、静かで、心地良いことに気づきました。

 

ネットになんだかんだ書いたり、ネット上で交流するようになって、約15年ですよ。

 

ネットを通していろんな人に出会い、考え方に出会い、成長させてもらってきたけれど、相当依存もしてたなぁと。

 

誰に聞かせるでもなく、誰に見せるでもなく、自分の生活に集中するだけで、こんなに幸せなんだなぁ、というよりも、人類の歴史から言えばこっちがナチュラルな姿ですよね、きっと。

 

ずっと「仮面を脱ぎ捨てる」、「自分に戻る」、みたいなことを発信してたけど、SNS断ちとブログ断ちが、今の私にとっては一番簡単な手段でした。

 

当初はそうでもなかったんだけど、最近は徐々に、内側からやりたいことがわいてくる状態になってきています。もともと何事にも執着が薄くて、何かしたい、何かほしい、とあまり思わない私にとって(かといって、それが悪いわけではないなぁと最近は思うんですけど)、それはとてもとても大きな喜びで、私がずっと辿りつきたかったような地点に、今います。

 

消滅願望の終わり」という記事を書いてすぐ、この記事に書いたような"なんだかいい感じ"の状態は消え去ったのでした。というよりも、、、、消え去るっていう予感がしてたから、セッションを受ける前日だったこの日、連続納期の合間を縫ってこの記事を書いたのです。こういう時期があったってことを自分のために書き残しておきたくてね。

 

それから、とても長かったです。でもね、やっと、そこに、あの記事に書いたような状態に戻ってきました。

 

音叉ヒーリングについても、スピリチュアルのよくある矛盾というか、すべてを受け入れるっていいながら、ダメなところを見つけて調整するって流れになっとるやん!などと思ってドツボにはまってたんですが、もう、本当にそういうのやめようと思いました。

 

私がやることは、その人の内なるチカラを心から信頼して、その人の(今は隠れているかもしれない)源とつなげること、それ以上でもそれ以下でもない!と決めました。

 

そのうち、いろいろと落ち着いたら、告知の文章も変えようと思います。そのときはまたブログに書きます。

 

TwitterもFacebook(←もともとほとんど使ってない)も閉じてしまおうかとも思いますが、また時が過ぎれば気が変わるかもしれないので、とりあえず、個人的なことについての発信はしばらくこのまま、やめたままにしてみようと思います。ただ、「これはイイ!」「これはいろんな人に知ってほしい!」って衝動がたまに出てくるので(ADHD傾向とうまく付き合うために便利なツールとか、糸島の美味しい水とかw)、そういうのはこれからも書いていこうかな、と。それと、告知記事以外のFacebook連携はやめてみます。

 

野河内渓谷(のごうちけいこく) / Nogouchi River Valley, Fukuoka, Japan

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明けましておめでとうございます!

明けましておめでとうございます。

 

2016年は思いがけず多くの方に音叉ヒーリングを施術させていただくことができ、また車の運転も思いがけずできる(自信はまだない)ようになったりと、予想外の嬉しい出来事がたくさんありました。

 

年末は実家に帰省しまして、今また福岡に戻ってきて、来年のハワイのための翻訳作業にいそしんでおります。

 

内面的には、「わたし」というものに目覚めた年になったように思います。わたしは何が好きで、何がやりたいのか。。。もともとキネシに興味を持ったのも、「わたし」に近づきたかったからでした。

 

数年ぶりにヒーリングをさせていただく機会をいただき、まず「わたし」を癒すこと、「わたし」を確立することの大切さをあらためて感じた日々でもありました。

 

だいぶ遠回りをしてきてきました。今でもすぐにトラップに引っかかっては落ち込んでの繰り返しですが、それでも、少しずつ自分に近づき、自分に戻りつつある実感があります。

 

今年も引き続き、自分に戻ることに専念しつつ、その中で、周りの人々のお役に立っていけたらと思っております。

 

今後とも、えりことキララワークスをどうぞよろしくお願いいたします。

 

宮島口からの日の出

 

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消滅願望の終わり

この1か月間で、私には、とてつもないことが起こりました。

 

9月末に近づいたある日の明け方ですね(まさかこうなるなんて思わなかったからメモも取っていなくて覚えてない)、目が覚めてみると、胸にヒューヒューと今まで感じたことのなかった風が通っていました。あれ?何か呼吸がラクで、カラダも軽い気がする・・・?

 

そのときは何が起こったのか分からなかったのですが、その日から、生きることが、ラクになり続けています。

 

急に変わったというよりは、実際の生活の中で「あれ?わたし、こんなことできたっけ?」「こんなにラクだったっけ?」という発見の日々が、今も続いている感じです。

 

根本的なところで、何かが抜けました(不思議と、新しい能力が加わった、という感じはしません。障害になっていたものが取り除かれた感じ)。

 

その「抜けた」性質は、わたしが、ADHDとかアスペルガー的性質だ(だからどうしようもない)、と自分で見ていた部分と、かなりかぶっています。

 

生きていていいと思えるようになり、マルチタスクがある程度可能になり、自分の予定を見渡してある程度前もって行動を起こすことができるようになり、だから仕事するのも遊ぶのも楽しくなり、、、また身の回りのことに関心が芽生えはじめ、その結果として、雑誌やTVをある程度楽しめるようになり、人との会話もある程度楽しくできるように、なりました。

 

あえて「ある程度」と書いているのは、その度合いが、今も少しずつ進んでいるので、パキッと1か0で変わったんじゃないよ、変化の完了地点が存在して突然そこに到達したというわけではないよ、ということを強調したいからです。

 

何より根本的なのは、「消えたい」「いなくなりたい」と思わなくなったことです。誤解を受けるので、これまでおおっぴらに書くことはありませんでしたが、物心ついたころから「いなくなりたい」と思っていました。

 

超重要な注意:「自殺」をしたいわけではありません。死のうとしたこともありません。私にとっては大分違うことです。


誰も傷つけることなく、この世からスーッと消えられたらいいのに、いや、もう最初から存在していなければいいのに、とつい思ってしまう、という感じです。わけもなく、とにかくこの世にいるということが辛くて、いつ死ねるのだろう、と無意識にずっと思っていました。そうそう、むしろ、ホームシックに近いのだと思います。現実が居場所と思えなくて、常にどこか間違った場所に来ている感じ。

 

で、その部分は、いろいろな生きることがラクになってきても、ずっと、根本的には消えなかったのですね。思う頻度はかなり減っていたのですが。うつ病にかかって症状としてそうなったわけじゃなくて、物心ついた頃からある感覚だからですね。

 

前回の記事に書いた、宮岡和宏先生のタロットセッションで相談したことも、一言でいえば、これでした。わたし、現実を楽しめないんです、ということです。いろいろやってラクにはなってきたけれど、まだ、現実に興味がもてない。ヒーラーとして活動しているのに、自分がこんなんでいいのだろうか?というのも、ありました。いただいた素晴らしいアドバイスは、ブログには結局まとめられませんでしたが、最近の宮岡先生のブログの「生きづらさの肯定から観る。」という記事がそのエッセンスと少しかぶっていたのでご紹介しておきますね。

 

***

 

で、先月末、それが消えたのですよ・・・・・・。

 

生きづらさが消えたというよりは、とにかく、私が生きることを阻んでいた何かが、消えたのです。

 

消えてみて初めて、これまで、私の世界の中がいかにノイズだらけだったのか、知りました。生きることに前向きになれない。底なしの無気力が底流を流れ続けている感じ。頑張ろうとしても足をすくわれる。いとも簡単に無気力に落ち込んで出てこれない。あの沼に半分浸かっているような感覚は・・・・・・普通は!?ないものなのか!?という。

 

(そういうことを言うと、「誰でもそうだよ〜」って感じで言われることも結構あったのですが、私からするとだいぶレベルが違うところで共感されている感覚でした)

 

何かをやろう!と決めては、できなくなってしまう、というパターンを繰り返してきたけれど、、、ADHDだからだと思っていたけれど、そこが取り払われてみると、ああ、、、これのせいだったのか、と思います。

 

「これ」の正体は具体的には特定できてないのですが・・・・・・

 

*****

 

とにかく、生まれてからずっと抱えていた、これからも死ぬまで共にすることを覚悟していた生きることへの違和感が薄くなったのですね。

 

そのインパクトは生活のあらゆる側面に及んでいて、今まで苦痛だった翻訳がかなり淡々とできるようになりました。

 

もうね、これは、信じられないことなんですよ(フィボナッチ音叉ヒーリングをあれだけ受けても、すぐには変わらなかった部分。もしかしたら、これはタイムラグありでのフィボナッチの効果でもあるのかもしれません。それ以外にもたくさんの試みをしてきたので、もう分からないのですが)。

 

ちょっと前に「もう大きい案件は受けない」と決めたものの、たまたま、10月はそこそこ大きい案件が入っていました。そして、「あれ?私できるんじゃない?」と思い始めた途端、なぜかどんどん入ってきて、断っても断っても、この案件の納期はずらしますからこれを先に、みたいな感じで、気がついたら専業翻訳者時代とほぼ同じ分量をやっているのですが、自分を破壊することなくできています。

 

自分が変わったかどうかって、自分を動かしてみないと、やってみないと、どう変わったのか、分からないですから、ちょうどいいサンプルがあったようなものです。


同時並行でデザインの案件も進んでいて、ヒーリングもちょこちょこやらせていただいていて、習い事もある、という状況で、それを見渡して予定を立てたりできているんですね〜。まぁ、かなりギリギリですが。


今までは、「翻訳をやらねば」となったら、その沼の中にいるしかなかったのです。意識を振り分けることがどうしてもできなくて。でも今は、納期が迫っていても、予定を見渡して、スキマに別のことができる。本とかも読んだりできるようになったんですよ!

 

とにかく、世の中の人は、これをやっていたのかーーーーー、という感動です。

 

あ、翻訳専業に戻るっていうことではないですよ、念のため。でも、嫌だ、逃げ出したい、消えたいって感覚は本当になくなりました。納期前は確かに辛いけれど、ただの労働そのものの辛さです。

 

見える範囲が一気に広くなって、そのとき没入している対象以外にも、常時全体を見ている「自分」という一本の線のようなものが出現したのが、この1か月の大きな、大きな変化だと思います。


これまで、常に私である私はこの世界にいなくて、ところどころの没入の中に今が断片的にあるだけで、すべてが自分の中をただ通り過ぎていくというイメージでした。

 

でも、今は、自分が何をやりたいのか、自分が何を感じているのか、自分で感じ取れるようになった気がします。

 

わたしは、ずっと、ずっと、スピの探求を通して、ここに到達したかったのだと思います。

 

スピの言葉でいえば、「グラウンディング」というものでもあるのかもしれません。

 

でも、これは、「自分の感覚を感じよう」とか「グラウンディングしよう」いう努力や気合いでできることではなかったと思います。本当に見えなかった。見えないものは、わたしの世界では存在しませんでした。

 

コスモス*のこのしまアイランドパーク Cosmos - Nokonoshima Island Park

 

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