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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

無防備であるほどに守られる

コメント欄で教えていただいた、子宮委員長はるさんのブログ記事、【汚名の利点】自分を守るために全てを公開した。を読みました。

はるさんの転機は、風俗嬢であることがバレて会社をクビになったとき。そのときひらめいたのが「そもそも隠し事がない」「全てを公開する生き方」だそうです。

はるさんは、多くの人が「してはいけない」と思ってること(風俗勤め、愛人、父親不明の妊娠、、、)をしてみて、しかもそれを公言して(そんなこともし自分がしたら破滅すると思うじゃん!!それなのに)、結婚もして、父親の分からない子どもを育て、ラブラブで楽しく生きてる(ように思える)!
 
この宇宙の法則は、
きっと無防備であるほどに
守られることに
なっているのだと思いました。

すごいなぁ。。。

たしかに、自分から進んで晒したことで批判されても、困らないわ。うん、困らない。まったく傷つかないわけではないだろうけど。。。

それで思い出したのが、以前、明石家さんまさんが、糸井重里さんとの対談でしていた話。
さんまさん:
もう本当にギャンブルの「流れ」はね、
お笑い芸人の人生にはかなり役に立つ。
もう、それはね、いってみれば、
「ダメなときにどう止めるか」
これだけなんですよ。

負け分をどうおさえるか。
そこはもう、テクニックもあるし、
計算もあるんですけども。
ぼくがいちばん、
胸に刻んでいる名言があって、
まぁ、なんでもないといえば
なんでもないことばなんですけどね。

ジョージ・フォアマンと
モハメッド・アリが試合したときに
アリが言ったんですけど、
「わざとボディを打たせるんだ」と。
どういうことかというと、
「わざと打たせたボディは効かないんだ」
というんですね。

これはかなり、役に立つんです。
とくに、お笑い芸人とかタレントには
たぶん、必要なことばだと。
「ほぼ日」の睡眠論。さんまシステム 第8回 負けてるときは
※期間限定のコンテンツだったのでリンクは貼りませんが、「さんまシステム」で検索すると魚拓がでてきます。

このボクシングのたとえでいうと、私の人生ずっと、「打たせない」、そのために「さらけ出さない」ことを無意識にやってきた気がして。

少しでも打たれるのは嫌で。さらけ出さないようにしてるからこそ、余計、打たれると痛かったのかもしれない。

自分から打たせるなら、効かない。

武装解除はめっちゃ怖いけど、それを実際にやって見せてくれる人の言葉には、本当に勇気をもらえます。はるさんのブログに感謝!
 
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さらけ出す力

自分の「弱み」を100%受け入れて、それを人に見られてもOKと思えるなら、生きる苦しみの大半はなくなるだろう、って最近心から思います。

ブレネー・ブラウン「傷つく心の力」(Brene Brown: The power of vulnerability)

↑埋め込みプレーヤーがなぜか動作しないので、ページに飛びます

感情を選択的に麻痺させることはできない

上の動画で特に面白かったのが、
感情を選択的に麻痺させることはできない。
You cannot selectively numb emotion.
という研究結果。だから、
感じたくないからといってその感情を麻痺させていると、喜びも、感謝も、幸せも感じられなくなる。
When we numb those, we numb joy, we numb gratitude, we numb happiness.

恥ずかしさや傷つきなどのネガティブな感情はなるべく感じないで、ポジティブな感情だけは目一杯感じたい!ってのは成り立たない、というわけです。。。。。。

このあたり、私の長年の課題である無気力に関連する気がして、とても興味があるところでした。

辛いときも悲しいときも笑顔で元気に振る舞えば快活さが増すかと思っていたけれど、一向に快活になった気がしない(笑)のはそういうことだったのか、って。痛みを麻痺させると、どんどん感情自体が枯渇していく、というのは、経験上腑に落ちます。
 

恥は共感に勝てない

この動画の続編も、すごくよかったです。

ブレネー・ブラウン「恥について考えましょう」(Brene Brown: Listening to shame)

特に、恥の意識を解毒するのは共感(「私もです(Me too.)」という言葉)だという部分!

この部分は、モニカ・ルインスキーさんの「恥」に関するTED Talkにも、次の印象的な言葉で引用されていました。
恥は共感に勝てない。
Shame can't survive empathy.

弱みを隠すのは、それを自分にあってはならないものと切り離そうとし、自分のものとして共感しようとしていないからなのかもしれません。今度、ネガティブな感情がわき上がってきたら、とことん共感する、ということをやってみようと思います。
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これまでのこと (2)

これまでのこと (1)の続き・・・

しっくりこなくて書き直す、ということを繰り返していました。

数バージョンのストーリーを没にした後、しっくりくることは永遠にない、ということに気づきました。

私が、このブログでは本音だけを書く、と決めているからです。

ある程度長い期間に起こったことをまとめて分かりやすく書こうとすると、どうしても、「ストーリー」になってしまいます。こういう問題があって、こういう行動をとったら、こうなりました、という(大概、そこにくるのはいい結果ですね)。

ストーリーがまとまるとスッキリしますが、どうしても、真実が漏れます。

ですので、記事にまとめるのは、やめることにします。

これからは、今思うことを自由に書いていきます。
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これまでのこと (1)

ということで、戻ってきました。

戻ってきたといっても、「えり」としては、長文を書いたことがなかったと思います。ボロを出したくない、、、わたしは私の「素」を恥じていて、隠しておきたかった。

本当は、今だって、「えり」を閉じて、新しい場所で、新しい名前で、失敗したことがない人のような顔をして、心機一転始めたいです。でも、それではまた同じことなので、あえて、ここで、同じ名前で続けます。

まずは、キネシオロジーのセッションのこと。

キネシオロジーのセッションは、まだ中止中です。今後何らかの形で再開すると思いますが、未定です。

私は、2013年の秋頃、キネシオロジーのサロンを立ち上げてすぐ、見えない世界は怖い!と思う体験をし、それをきっかけに数か月寝込みました(ここで詳しくは書けませんが、キネシオロジーのセッションとは関係ない、個人的な出来事です)。

それは、内心、相当なショックでした。

それまでの私にとって、スピリチュアルな考えやツールは、長年、頼れる味方のような存在でした。それが、突然、自分に向かって牙をむいたように感じました。恐ろしい。こんなものをもう人に薦められない、と思いました。

一方で、その間も、「見えない世界」自体への信頼はあったように思います。

怖い目にあったのは、自分の問題。私が甘かっただけ。私が修練を積んでいなかったから。私がちゃんと「見える人」になってなかったから。私が地に足着いてなかったから。私が自分の軸をちゃんともっていなかったから。。。私はそういう自分を恥じました。

恥の意識でいっぱいになった私は、書かなくなりました。

書いたら、見えない世界への偏見を煽って、スピリチュアルな仕事をしている人達に迷惑をかけてしまうだろうと思いました。というのは表面的なことで、私がぽっと出で、思いつきで自宅サロンなんて始めるのを快く思わない人から「ほら見ろ」と思われるだろう、と思い込んでいて、それが怖かったのが本音です。

私は、信じていたものに裏切られた(と思った)ことで十分に傷ついていて、それ以上傷つきたくありませんでした。

当時、何人かのヒーラーさんに話を聞きましたが、見事に、一人一人違うことを言いました。

見えない世界についてある程度学んでいれば、そのくらいは想定内なのですが(テレビで、どのチャンネルに合わせるか、のような違いです)、もうたくさんだ!と思いました。「見える」人から、いろいろ言われるのはもうたくさんだ!ってことです。

高次の意識につながっているといっても、人間である以上、やはりその人の人間としての意見も混ざることがあると思います(キネシオロジーでもそういう部分を完全には排除できませんが、体を通して聞く分、そしてクライアントさん自身が考えた問いに対して聞く分、反応を取る側の個人的意見は入りづらいと思っています)。

とにかく疲れ果てた私は、スピリチュアルから離れることにしました。

ずっと目を背けていたことを思い出して書いていたら疲れ果ててしまったので^^;ここで一旦切ります。
 
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