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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

『脱・偽り人生 ~本気の自己認識ワークBook~』をやり終えた直後の感想

すごい本に出会いました。

 

たしか、先日書いた『発達障害とどう向き合うか』 を読んだときだったと思うんですよ、今あらためて、ちゃんと「自己を知る」ことの必要性に気づいたのは。そのタイミングでAmazonで見かけ、「なか見!検索」でピンと来て、著者の橋本尚子さんのことは何も知らないまま、注文したのがこの本でした。

 

届いてみると、まさに、思ったとおりの本でした。ハードコアな自己認識本です。

 

正直、この本のワークをやるのは、ものすごく大変でした。このところ、ひまさえあればやっていて、かなり時間もかかりました。涙なしではできないワークでした。でも、どうしても、今、このタイミングで、こういう徹底的な「私を知る」作業が必要だと思いました。

 

やっと、今日、ワークが最後まで終わったんです。先延ばし癖がある私が、仕事も詰まっている中で、なぜ、こんな大変なものをこんなに早く(本が手元に届いてから約2週間)終わらせられたかっていうと、実は理由があるんですが、それはまたいずれ。

 

ダイナマイト級の破壊力をもつこの本、、、いや、破壊されたわけではなく、統合されたんですが。

 

これまで自己分析(「わたしってこういう人間」)は散々こねくりまわしてきたはずなのに、まったく見えてなかったことが見えてきました。届かなかったところに到達できました。そして何より、心が軽くなりました、、、やる前と、全然違います。

 

先日から、「書く」ことで潜在意識につながるっていうことを何度も書いているけれど、やはり、自分の好きなように書いていると、ドラマにはまりがちだし、核心からは目を背けることもありますね。この本は、そのワナを抜けるよう、しっかり、力強く導いてくれます。

 

それはたぶん、著者が出版のためにワークという体裁をとって書き下ろした、という質のものではなくて、実際に何度も開催され、成果をあげているらしい人気講座のテキストだから、というのも大きいと思います。

 

↓こちらの講座のテキストだそうです。

◆自己認識・初心回帰コース◆

 

本当のことって、見たくないこともたくさんあるじゃないですか。

 

だから、もしこの本がなくて、ただ闇雲に書くだけだったら、同じところに到達するにはもっともっと時間がかかっていただろうな、と思います。

 

この本は、自分が人生で無意識に大切にしてきたもの、優先しているもの、つまり、自分の「価値観」や「信念」を自分で、発見できるよう、導いてくれます(その道のりは相当ハードコアですけども)。今日、やっとそれと出会ったときの感動といったら!!!!!!!!!!


信念や価値観って、自分の一部だから、一旦意識にのぼりさえすれば当たり前で、「そうだったよねーーーーーーー!!!!」って思うんだけど、あまりにも当たり前すぎて、無色透明で、見えないままに、自分の人生すべてで力を振るっているのですね。

 

その中には、他の人から言われたりしていたことと一致する部分もあって、それも「ほぅ、あれはそういうことだったのか!」という発見でしたが、やはり、人から言われるのと、まったく質が違いますね、自分で自分のこれまでの経験の中から発見するのって。

 

しかも、そうやって発見した自分の「価値観」を元に、今後「やりたいこと」まで芋づる式に、自然に、意識化することができたんです。やりたいことがないのが悩みとか言っていたこの私がですよ・・・それは、いわゆる引き寄せリストみたいなのとは全然質が違うものです。本当に嬉しいことです。

 

かなり端折っていますが、とにかく今の感動を今日のうちにと思い、更新します(日付変わってますが!)。

 

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やりたいことなんてなくていい

「やりたいこと」神格化現象の中で の続きです。

 

文章は子どもの頃からずっと書いてきました。ただ、書くと心が整理されて、気持ちが軽くなるからです。書き始めるときには、どこへ行き着くか分かっていなくて、ただガスを抜くように、出てくる言葉を書き続けていると、突然、目の前が開けるように、「これが書きたかったんだ!」という結論やメッセージが出てきてスッキリする、というのが、私のいつもの書き方でした。
 
書きながらメッセージに辿り着くその瞬間まで、私は自分が何を書きたいのかも分かってない、それが当たり前でした。
 
だから、「あ、書こう」とは思うけれど、「書きたいものがある」というのとはちょっと違います。何を書くか、はまったく重要じゃないし、書き始める時点では分かってません(「書きたいものがある」と思っていることもたまにありますが、大体、書き終わったときには別物になっていますw)。

 

このブログも、そういうプロセスの繰り返しでできています。

 
これまで「排泄行為」だとばかり思っていたこのプロセスを「創造」と呼んでもいい、というのが最近の一大発見で、私にとっては大きなブレークスルーでした。

 

排泄行為から創造活動への昇格です!!!
 
これを「クリエイティブ」って呼んでいいんだ!ということを最近、受け入れました。許しました。だから、ブログを書くのも一気に楽しくなったんですね。

 

自分が生み出すものは、存在する価値がある(廃棄すべきものではなくてね​)。

 

それは、「自分がここにいていい」「生きていていい」と同義です。。。。。。

 

ということは、、、クリエイティビティの感覚って、自己肯定、存在価値の感覚そのものだったんですね。

 

自分がここにいていいとしたら。価値あるものを生み出さなくてもいいなら。生きているだけでいいなら。。。。。。

 

やりたいことなんてなくていいと、やっと、本当の意味で納得したんです。

 

もっと正確に言うと、「やりたいこと」なんて「分からなくていい」から、やりたいことをやっていい、かな。なんだか禅問答みたいですが。

 

「やりたいことをやりなさい」・・・よく聞くスピ系のアドバイスですね。私はこのアドバイスにずっと従おうとしてきたけれど、ずっと、その「やりたいこと」を何か具体的な対象だと思っていたんです。
 

そうじゃなくて、やりたいことをやっていいってのは、「あ、書こう」「あ、食べよう」みたいな原始的な思いつきのようなもので十分で、それを抑圧せずにやっていいってことなんだ、とやっと理解したんですね。

 

私が見落としていたのは、単なる衝動にしか思えない、くだらない、意味もない、お金も稼げない、どう考えても今それをするのは合理的ではないと思う、誰かに認められるわけでもない、どっちかというと世間的にはアウトかも、、というような、どうでもいい心の声に従っちゃっていいんだ!!!っていうところです。「やりたいこと」はもっと大層なものだと信じ込んでいたので。盲点でした。

 

そう考えてみると、ふと「あの人にメールしよう」とか「この辺汚れてるから掃除したい」みたいな些細な思いつき・衝動は日々たくさんあって、そのほとんどを「今は仕事でしょ!」とかバッサリ却下してたんですよ、無意識に。良かれと思って。そうするのが当然だと思っていたから。衝動に従っちゃった時は、後悔までしていました。本当は今日は○○をしなければならなかったのに、あそこを掃除しただけで1日が終わってしまった・・・みたいに。

 

でも「やりたいことをやる」っていうのは、おそらく、そういう些細な些細な思いつきをぶった切らずに、ひとつひとつちゃんと聞いてあげて「やる」ことのような気がします。そうするようになったら、いきなり生きるのがラクになったから。

 

(ここで私の場合はADHDの話に繋がります。ADHDのコントロールっていうのは、まさに衝動のコントロールだったので。衝動を叱りつけて、縛り付けて、あるべき自分を作り出そうと必死だったけど、そういうコントロールは最小限でいいんですね。むしろ、ADHD的衝動を利用するのです!)
 

私は「やりたいことをやりなさい」「ワクワクすることをやりなさい」という言葉を、「やりたいこと(ワクワク)がなくてはならない」と勝手に誤解して、自分を縛っていたんだなーと思います。まるで、「やりたいこと」や「ワクワク」が分からないと動けないような気にすっかりなっていましたからね。

 

「何を」どうするという具体的な目的とか意味とか手段とかは別にどうでもいいから、分からなくていいから、分かるのを待たずに「ただやる」だけでいいみたいです。ただし、「やったほうがいい」ことはやらないこと。「やったほうがいい」って言ってるっていうことは、やりたくないのだから。このワナによく引っかかるんですよね〜。別の言葉でいえば、「やる」ことを、価値を勝ち取るために利用しないこと。
 

わたしは、何かを「やりたい」という気持ちが喉から手が出るほどほしかったけれど、この飢餓感、私が誤解して創り出したものだった、と思うようになりました。

 

その誤解ワールドから抜けるには、たぶん、「勇気」が鍵なんじゃないかと思います。


「やりたくない」声のほうが「やりたい」声よりも分かりやすいから、先に聞こえはじめると思うんですね。そうすると、「とにかく何にもやりたくない!!!」その声に従ってあれもやらない、これもやらない、ということを積み重ねていくのは、、、それは、自己価値を「やること」によって勝ち取っていた人にとっては、ものすごい罪悪感と恐怖ですよ。

 

それは世界が崩れ落ちるような、自分の居場所がなくなるような、、、死の恐怖に近いものがあると思うのですが、その恐怖を乗り越える勇気。だって誤解なんですよ。

 

そして、やりたいことがふと出てきても、具体的にどうとかはよく分からない・・・。分からなくても「ただやる」ことが鍵だから、「分からない」不確定な状態に耐える勇気も必要かもしれません。

 

それをやっていくとだんだん、分からなくても自分は常に何かを生み出していることに気づき、すでにやっていることの中に価値は元々あることに気づき、価値あることを生み出すことで自分に価値が付くんじゃなくて、もともと自分に価値があるんだ、っていう世界観にシフトしていくんだと思います。

 

そう、結局、単に「見方」の問題でした。


「やりたいことがない」ってずっと言ってきたけれど、一瞬一瞬をちゃんと見てみれば、何かをやりたくて何かをやってました。ただ、当たり前すぎて「何もやっていない」と錯覚していただけ。

 

何でもいいから、ただやれば、それをやったことで、そのときの自分の周波数に合ったことがおのずと起こってくる・・・・・・それは意識するしないにかかわらず起こっていて、今目の前に起こっていることもすべて自分の反映なんですね。つまり、何もやっていないつもりでも、何もやりたくないと思っていても、どうせ、一瞬一瞬、私たちはクリエイトしているんですね。


逆にね、分からないままにクリエイトするということは、無意識さんが表れやすいってことですから、自分とつながるにはもってこいとも言えるかもしれません。

 

さらに、ここからはおまけですが、具体的には分からなくても、意図(intention)(こないだの例で言えば、キネシオロジーと私の関係についてもっと分かりやすく見せて!というのが意図です)だけ打ち上げておけば、無意識さんが勝手に働いて、見せてくれる・・・・・・これは体験すると分かりますが、完全に”エネルギーワーク”のレベルで、素晴らしいヒーリングですw

 

意図をもって何かを作ると、どうもその意図に合わせて周波数が調整されるようなんですね。だから、意図をもってクリエイトすると現実が変わっちゃいます。本当に不思議なんだけど。

 

そして、実は音叉ヒーリングの原理も一緒だったりします・・・^^

 

落ち着けわたし、そのままでいいのだ、分かってなくていい、うまくなくてもいい、ただやれ。必要なのは意図だけだ、と昔の私に言いたいですw

 

ああ、ロンさんの言う「意図」の意味が分からなくて去年混乱してたのも意味があったのだなぁ・・・あらためてロンさんの言葉をお借りして、"Intention is everything. (意図がすべて)" は真実だと実感しています。

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自分と向き合う〜『発達障害とどう向き合うか』

また脱線します(といっても私の中では深くつながっているのですが)。

 

最近、友人でありセッションも受けていただいている方から勧められて読んだこの本がとても良かったです(その方は当事者ではないのですが、同僚にそういう方がいて、とても参考になったそうです)。

 

私の発達障害グレーゾーンの経緯と「こじらせ」については、去年、ADHDグレーゾーンのこじらせと今の混乱そのまま出しという記事に書いた通りです。

 

今思えば、ですが、この記事を書いてからの約半年、私は自分のADHD(&少しアスペルガー)傾向と向き合っていたのだと思います。

 

その主なものは自動車の運転っていう、私に適性がないことは明らかだけど「やりたい!」と強く思っていることへの取り組みでした(私が「やりたい」と思うのは貴重なので(笑))。この、運転ができるようになるプロセスというのは非常に面白い経験だったので、いつかまとめたいな、と思っています。

 

もうひとつ大きかったのが、受信・発信する情報量を制限したことでした。それまでは毎日のように数百のブログに目を通し、Twitterを見て、何かあったら書き込んで、、とやっていたのを、一旦全部やめました。

 

それまではそういうことを好きでやってるつもりだったんですね。

 

でも、やめてみると予想以上に楽になってしまったんです。

 

楽になってみて、そういえば、私はマルチタスキングが大の苦手だった・・・・・・と気づきました。多種多様な物事を同時にさばいて、頭をサクサク切り替えていくことができない性質で、「今注意が向いていること」に没頭してしまう性質なんだから(さらっと受け流すこととかできない)、それだけたくさんの「他人の」情報を毎日頭の中に流し込んでいたら、自分に使う時間がなくなったり、自分がどう思っているのか分からなくなってしまうのは当たり前じゃないか!となりました。

 

ADHD特性的には新しい刺激が入ってくるのは大歓迎・大好物なんですが、一方で、脳の情報処理的には容量オーバーでかなりのストレスになっていたんだなぁということに初めて気づきました。

 

発信についても、その場その場で出していって、即反応があったりすると楽しいですし、スピーディに展開していい感じなのですが、やはり、そのやりとりに割くリソースという意味では、アスペルガー傾向で雑談が元々苦手な私には負担の方が大きいと分かり、やめることにしました。ブログのコメント欄を閉じたのも、Facebookページの更新を最小限にしたのもそのためです。

 

おそらく、最近の一連の記事で書いている<クリエイティビティ>の解放的なことは、そうやって作りだした「空白」があってこそ可能になった気がしています。

 

そういうのが、「自分を知る」メリットであり、ポジティブな活用法なんだなぁ、ということを最近思っています。

 

うん、「こじらせ」は抜けたように感じます。

 

こじらせていたとき、私は、自分の発達障害的なところ、ダメなところを「必要な対策は講じた上で、そのまま肯定しよう」と頑張っていました。

 

なんていうかな、自分の中に「問題児さん」がいて、その子を「できる自分」が一生懸命監督し、しつけをし、肯定しよう、愛そうとしてた感じ???「問題な自分」と「OKな自分」に分断されてたんですね。

 

でも、、、なんか、ひとつになりました。

 

「マイナスの症状はプラスの特徴になりうる」って、いろんなところで目にしていて、深く分かっているつもりだったのに!!!

 

まあ、ここまでは本の内容とは関係がない、最近の私の気づきなのですが、そんな中で読んだこの『発達障害とどう向き合うか』は、自分の特性を「知り」、ポジティブに「使っていく」ために使えそうなヒントが満載の本でした。

 

かなり実用的な本なのですが、ご本人が当事者で、大変な苦労をされた方なので(仰天エピソード多数)、発達障害的な「生きづらさ」への限りない共感が本全体に漂っており、読んでいるだけで癒される、という面もあります。ご本人は重度だそうですが、グレーゾーンならではの辛さも把握され、触れられています。

 

著者の吉濱ツトムさんは重度のアスペルガー症候群を、アスペルガー的特性を活用してうまくコントロールする方法を独自に見つけ、ご自身の生活を一変させ、今では発達障害専門のカウンセラーとしてその方法を指導されているそうです。そのプロセスは、「知識獲得」、「食事改善」、「肉体強化」、「環境圧力の設定」、「行動療法」、「自己暗示による認知の是正」、「環境を設定する」、「才能の発掘、進展、活用」から成るとのこと。


面白いのは、この方も、ご自身の活用法を開発する前に、スピリチュアルに傾倒してスピリチュアル面だけで改善しようとしてドツボにハマった経験がおありだということ(具体的なことは、私の中でまだ整理がついていないので今ここでは触れませんが、すごく大きなヒントをいただきました)。

 

まず栄養から改善すべきっていう発想は、私も前に考えたことがあって、試したこともあるのですが、効果がわからないうちに飽きてやめてしまったんですね。私はADHD傾向優勢のためか、あれこれ新しいことに手を出すのは大好きだけど継続するのが苦手・・・・・・そういう意味では、モチベーションを掻き立ててくれるこういう本は燃料になります。もう一度、あらためて、自分の体で人体実験してみようと思っています。

 

そうそう、当事者でもある医師の方による発達障害の本も結構出ているように感じますが、この本の大きな特徴のひとつは、著者が「医師ではない」立ち位置で、発達障害専門のカウンセラー(&ヒーラー)として、たくさんの発達障害者(診断の有無にかかわらず)と出会い、変容を助けている、ということだと思います。だから「診断」がつくかどうかによって分断されていないんです。だから、私みたいなグレーゾーンの人でも、病院に行くまででもないけど少し当てはまるところがあるなーっていう人でも、「共感」をベースに分け隔てなく、役立つ部分をピックアップできると思います。

 

それと、私も子どもの頃からさまざまな創意工夫をして、自分なりのルールを決めてADHDの特性による負の影響が出ないようにし、特性があっても仕事が得られる職種を選び、環境を選び、ってやってきたのはパーフェクトなプロセスだったんだな、という自己全肯定の効果もありましたよ。

 

長い間、「消去法での選択」だった翻訳という仕事に誇りが持てなかったけれど、最近は、まったく正しい選択だったと思うし、翻訳も好きになってきました。「普通にならなきゃいけない」って縛りから解放されると本当にラクです!!!

 

吉濱ツトムさん公式ウェブサイト

吉濱ツトムさん公式ブログ「未来への思考法」

 

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カード決済が選べるようになりました&最近の遠隔セッションのやり方

Webからのお申し込み時に、銀行振込に加えてクレジットカード決済(VISA/Master)がお選びいただけるようになりました!

 

カード決済では、お申し込み時にクレジットカード情報を入力していただきますが、ご予約時点では仮決済で、セッション完了時にご請求が確定されるようになっています。

 

ご予約サイトでメニューの選択→日時の選択→お客様情報の入力、と進んでいくと、以下のような選択肢が表示されます。

 

ここで、クレジットカード決済をご希望の方は「事前カード決済」を、銀行振込をご希望の方は「現地決済」をお選びください。当日現金でのお支払いは基本的に承っておりません(ぶっちゃけ理由を言うと、ADHD傾向がある私には管理が難しいからです><)。少し紛らわしいですがよろしくお願いいたします。

 

支払い方法の選択画面

 

メニューの詳細はこちらです。

どうぞよろしくお願いいたします!

 

***

 

最近、またまたセッションの方法が変わってきています。

 

これを書いている現時点のメニューは3つで、対面ヒーリングのフルセッション、遠隔ヒーリングのフルセッション、そしてミニセッションの遠隔おまかせヒーリング(通話なし)になっています。

 

この中で、遠隔ヒーリングのフルセッションにおける「お話」と「音叉施術」の割合は、フィボナッチヒーリングとしてやり始めてから、ずっとずっと試行錯誤を重ねてきたところでした。

 

何が問題かというと、音叉のサウンドが、Skypeや電話を通すとかなーり変質してしまう!!!ということなんです。

 

音叉は打ち付け具に当てて音を出すので、カンッ(当てた音。周波数が違う)ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン(これが本来の音叉の音。かなり長く続く・・・)なのですが、Skypeだと、ほぼ、最初のカンッしか聞こえないんですね(音叉によります。比較的高い周波数の音叉はそこそこ聞こえるようですが、、、響きは実際とかなり違います)。

 

実際に対面で受けた方は分かると思うのですが、わたしが使っている音叉は特にカラダに直接響くタイプが多く、「音」というよりは「振動」がメインなのですね。

 

通話を介すと、完全なる別物と化してしまうので、実際に音叉の音を聞いたことがない方が初めてこれを聞くと「え・・・意外と癒されない音だな、むしろ耳障りなんですけど」となってしまう可能性が大いにアリなのです。

 

そのため、フィボナッチをメインに提供させていただいていた頃は、音叉の施術は通話を切ってやらせていただいていました。また、最初は事前通話でカウンセリングをしていたのですが、途中からはそれもなくしました。どうもセッションが分断している感じが居心地悪かったからです。

 

でも今は(ご希望をお聞きしてですが)通話をつなげたままでやるように変わってきています(おまかせヒーリングは通話なしです)。

 

で、通話をつなげて、話しながら、もう、最初から音叉を使っちゃいます。「今、地球の周波数をもつ、低い音の音叉のバイブレーションでグラウンディングしてます〜、音は聞こえないかもしれないですけど・・・」みたいな感じです。そして音叉を使いながらお話を聞いていき、その場で必要な施術を入れていく感じになってきています。

 

音は変になっていたとしても、バイブレーションはちゃんと届いている!私がそのあたりに確信がもてるようになったので、こだわらなくなったのかもしれません^^;;;でも音はベツモノですのでご了承くださいね(くどいかな?)。

 

ご希望に応じてキネシでの質問も受け付けてます(でも、キネシと音叉は同時にはできないので、ご質問が多い場合は音叉施術の時間がほとんどなくなることも・・・その場合も、最初と最後はグラウンディングの音叉をやります)。

 

なので、遠隔のフルセッションについては、対面セッションとの差があまりなくなってきている状況です。

 

しゃべると、どうしても思考が働くので、どちらがいいか、というと一概には言えません。

 

波動をキャッチしやすい方で、とにかく音叉のバイブレーションに浸りたい!という方は、90分間ずっとおまかせで(通話なしで)遠隔ヒーリングすることもできます。すべてご希望次第なので、なんでもご希望をお聞かせください!

 

と、最近はそんな感じです^^

 

 キララワークスヒーリングメニューの詳細はこちら

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クリエイティビティのブレークスルーが起こるまで

自分のために「情報」を汲み上げる方法

「やりたいこと」神格化現象の中で

からの続きです。

 

以前、クリエイティビティコンプレックスからの脱出と自己価値という記事を書いたことがありました。2016年5月12日。ちょうど1年前なんですね〜。

 

ここ数年にわたり、クリエイティビティコンプレックスから脱出する道のりを歩いてきて、何度かブレークスルーになる出来事がありました。

 

そのひとつがなかうち佑海さんから、カメラとPhotoshopとの付き合い方を学んだこと。これが大きな第一歩でした。

 

2015年5月1日にこんなことを書いていました。

【カメラと私 その1:カメラを持ち歩けない】

【カメラと私 その2:カメラを持ったライトワーカー、佑海さんとの出会い】

【カメラと私 その3 : カメラは最強の自己肯定ツール!】

(かやの森 鈴は私のクリエイティブ系の活動名です。まだほとんど活用されてませんが・・・)

 

これが写真のブレークスルー。この「0から1」的な進化は本当に大きかったです。

 

そして、最近、若林リアンさんから絵とのコミュニケーションの方法を学んだことで、第二のブレークスルーが起こりました。

 

写真のときは、すぐに分かるような変化があって、ひたすら楽しかったけれど、今回はブレークスルーはなかなか起こらなかったし、今やってることが何につながっているのか、私は本当に自発的に絵を描きたくなるのか、(今思えばですが)長い間分からないままでした。

 

もちろん、毎回楽しくやってはいたんですが、12回っていうカリキュラムがあり、前払いしてあったので、途中長期の休みをいただきながらも続けられた、というのが大きかったです(本来、3ヶ月くらいで終わるはずのものを、1年かけてやりました)。

 

ブレイクスルーが起こったのは、レッスンを始めてから実に1年以上経ってからでした。

 

思えば、リアンさんとの1年間は、私にとって「欲求のないところに絵を描くのに慣れる」プロセスでした。

 

頭の中になんのビジョンもない、描きたい気持ちもわいてこない、けれど、宿題だから描く、という、、、、、、、(汗)

 

リアンさんのワークって、最初の段階では、目をつぶって描くところから始めるんですよ。(すでに頭の中にある完成形を)きちんと描く、みたいな思い込みをぶっこわすことから始まるんです。
 
私には描きたいものがないんですから、リアンさんのやり方は好都合でした。

 

このやり方だから「何でもいいからただ描く」ことへのハードルはぐぐっと下がるのですけど、意味のあることをやりたい、やることによって価値を得たいタイプの私にとっては、しんどい作業でした。

 

特に、醜い絵(自分的にね)と向き合うのは嫌でした。

 

佑海さんが、写真で教えてくれたようにね。気に入らない写真を何枚撮ったっていいように、どうしようもなく下手くそな絵を何枚描いたっていいんですよね。その中で気に入るのが数枚あれば、全然いい。。。はずなのに。

 

たぶん、、、ダメダメな写真を何枚撮ってもOK!と思えるようにはなっていたけれど、あくまでもそれは、その中から「いいもの」が出てくるなら、という条件ありきだったのかな、と思います。

 

価値を、選び抜いた「いいもの」にしか置いてなくて、撮るプロセスそのものを楽しむ境地にはまだ達していなかったんですね。ここからも、自分の目標達成型思考が透けて見えます。

 

駄文をいくら書いても自分の価値は下がらないように、本当は、ぐっだぐだな絵を何枚描いても自分の価値は影響を受けませんね。それが体感で分かるのに、結構時間がかかりました。

 

これは、私が子どもの頃、「評価されるため」、つまり「自己価値を得るため」にしか絵を描いてなかったからだと思います。写生などは得意でよく表彰されていたけれど、学校から与えられた課題以外で絵を描きたいと思うことはありませんでした。高校では美術を取らなかったので、高校以降、絵を描くことはなくなりました。

 

今回も、課題という形で出されるから、どうにか描くことができたのですね。最近まで、絵を描くのはリアンさんとのアポイントの数時間前だけでした(滝汗)「失敗」しても、描き直すような時間はないですから、自分では到底認められないような絵をリアンさんに見せるわけです。

 

ジェネシスカード

若林リアンさん開発のジェネシスカード

厚みがあって、絵の具が飛んじゃったりしてもすぐ拭けば平気な頑丈さ。絵と一緒にワークするのにぴったりなのです。

 

でも、リアンさんの「目」を通して見ると、毎回、その、描きたいことも何にもなしに、わけもわからず、でたらめに描いたものの中に、びっくりするほど「私」が露呈している、ということに気づかされるのです。描いた絵を見せたときのリアンさんの「リーディング」は怖いほどです。え・・・なぜ、それが分かるの・・・?と。それは絵のうまい下手とはまったく別次元でね。

 

それを12回以上繰り返しました。

 

それで、私、最近ようやく分かったんです。
 
クリエイティブになるために「作りたいものが分かっている」必要はない!ということを。
 (かなり語弊がある言い方です。そもそも誰もがすでにクリエイティブであって、「クリエイティブになろう」とすること自体がおかしいです。「描きたいものもない」「描いた絵を見ても何も読み取れない」そういう自分でも、リアンさんの目を通してみれば――つまり、見る目さえ変えれば――雄弁に自分を表現していた、すでにクリエイティブだった、ということを言いたいのですがうまく伝わるかな?意識で分かってなくても、無意識で完璧に分かっている、そういう自分は相当クリエイティブですよ?)
 

リアンさんとの1年間は「自分から生まれるものと向き合う」プロセスでもあったのだと思います。それはすなわち、「いい」自分だけじゃない、闇もヘドロも含めた、ありのままの自分を見ることそのものでした。

 
1年と数か月たった最近になって、初めて、文章を書いて自分でどんどん内側と対話していくのと同じように、自分で絵とコミュニケーションする感覚が掴めてきています。それまではレッスンでリアンさんの目をお借りしないと気づけなかった、自分の絵に潜んでいる無意識のメッセージに、自分である程度気づける感覚が、1年かけてやっと育ってきてくれたんです。


そうなると、俄然、絵を描くのが楽しくなってきました。

 

私が駄文をいくら書いても平気なのは、書いたプロセスそのものに意味があって、それによって自分の心の中に生まれている「何か」に価値を見出しているからです。心とのコミュニケーション手段としての役割を立派に果たしているから。絵も同じになりました。

 

急に、絵を描くことが特別なことではなくなり、文章と同じ自分との対話「ツール」となり、ただその時々のアウトプットであるだけのものに格下げされ、私にとって人に見せるためのよそいきではなく、自分で使う日用品になりました。

 

「あ、書こう」って思うのと同じように、「あ、描こう」と思うようになっていました。つまり、「描きたく」なっていました。


あれ、「やりたいという気持ちが出てこない」のが私のコンプレックス、でしたよね?

 

すでに解消されてるではないですか!!!

 

 

 

「書きたい・描きたいことなんてなくていい」「書けば・描けば何か出てくる」

 

これが、私にとってのクリエイティビティ、第二のブレイクスルーでした。

(もちろん、書きたい・描きたいことがある人はそれをすればいいと思います、あくまで私の場合です!)

 

ここで、やっと、先日の「やりたいこと」神格化現象の中での記事につながってきました。

長くなりすぎるので一旦切ります。まだ少し続きます。

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