sakura-blossom

福岡&遠隔でヒーリングもやっています

収入源を手放すことへの恐れ

最近全然ブログ書くモードにならないのですが、たぶん、今はひとつの転機にいると思うので、少し強引に、更新しておこうかな、と思います。15分縛りで^^

 

うーん、、、、以前、「不安からする仕事と、喜びからする仕事」という記事で、「今日この体験を踏まえて、私も、仕事の仕方を変えます。欠乏感からの仕事をもうやめます。」と書きました。

 

仕事の仕方、、、うん、変えたつもりでした。

 

たしかに、生活費のために仕事をするのは、やめました。そこは夫にまかせよう!って。でも、自分の喜びのためにね!結局、その後も、かなりの量の技術翻訳をしていました。といっても、専業だった頃の半分くらいなんだけど、、、、、、

 

元気になってきて、やりたいことが出てきたら、つかうお金が増えてきて。だから、そのために、自分の喜びのために、お金がほしいの。自分のやりたいことのために(我慢して)働くのは当然でしょ?って思ってました。

 

技術翻訳は本当に苦痛で、、、、、、でも、少し、望みをかけていたんです。わたしが、もっともっと癒されていけば、いつか、技術翻訳を楽に、淡々と、先延ばしせずに、できる日がくるんじゃないかな、って。フィボナッチでいろんな面で変化が出てきて、近々、そこが大丈夫になるんじゃないかなって。だって、わたし、技術翻訳は苦痛だけど、得意なのですよ、、、その苦痛がなくなる日が来たらいいな、って。。。

 

というのは、綺麗事で、、、、やはり、わたしは、既知の確実な、、、収入源を、、、手放したくなかった><

 

のだと、今は思います。。。。。。(セッションは増えてはきているけれど、今のところ、翻訳の収入とは比べものになりませんし、セッションは「私の楽しみ」という側面が一番大きいので、売上高ありきで考えたくないのです)

 

生活のために仕事する辛さ、、、はよく知ってる。楽しみのために仕事するなら少しは楽になるのかと思ってたけど、わたしの場合、もっともっと辛くなりました(楽しみが増えてきたから、その落差で、より苦しく感じるっていうのもあるのかも・・・)。未婚フリーランス1人暮らし(しかも家賃が高い東京)だった頃の「路頭に迷うかもしれない」という恐怖は、強力なモチベーションになってくれていたのだなぁ、って。。。

 

毎度、地獄のような苦しみで納品しては、次こそ余裕をもってできるんじゃないかと望みをかけて、、、でも、先延ばしはひどくなるばかり。納品直前の苦痛も増すばかり。

 

そのために、他の予定をキャンセルしたり延期したり。

 

セッション予定だけは死守しましたし、翻訳作業とセッションの間は十分時間をあけるようにしていましたが、それでも、常に納期で追い詰められている状態が、ヒーリングという仕事にプラスに働くはずがなく。


もう、限界だなって思いました。いくら翻訳が今のところ一番確実に稼げるとしても、一旦手放そう、、、、、と決めたのが先週半ば。

 

(15分経った、、、)

 

技術翻訳の大規模案件を、今度こそ、やめようと思いました。負担にならない程度の小規模案件だけは続けるけど。

 

そしたら、その途端、大規模案件がまた舞い込むのですよ・・・・・・しかもね、行きたいなって思っているワークショップの受講料相当!!!相当、心が動きました。承諾のメールの返信を書きかけました。でも、、、、、、断りました。翌日に別の会社からもう1件大きいのが来たけれど、それも断りました。

 

最近、セッションでも、「新しいものが入ってくるには、今握りしめているものを手放す必要がありますよ」みたいなことばっかり言っていて、ようやく、自分へのメッセージだ、と気づいたから・・・。

 

今日は、とりあえず、ここまで。

 

Window to the sky

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ひとつのサイクルの終わり、新しいスタート

わたしがキネシオロジーをつかったセッションを始めてから、ちょうど3年が経とうとしています(・・・・・・まだ3年しか経っていないとは!!!もっと、ずっと昔に感じるのですが)。

 

ここ1週間くらいかな?3年前に、ただひたすら楽しくて楽しくてセッションしていた頃の自分が戻ってきているのを感じます。

 

「目に見えないもの」との関係が、ようやく、新しい段階に進みつつあります。

 

わたしは、たぶん10年くらい前から、目に見えないもののチカラを自分を癒すのに使っていて、純粋に、ただ純粋に楽しく信じて使っていて、その恩恵を感じていました(※見える人ではありません)。

 

でも、3年前、他人様に対して提供することを始め、その楽しさを人と共有して、広めることができる!という素晴らしさに目覚めてすぐ、目に見えないものとの関わり方を誤ってしまって、キネシを取るのも怖くなって、セッションができなくなり、ヒーラーという仕事を離れました。

 

見えないものとの関わり方を誤ってしまった、というのは、向こうが主体、私がサブ、という立ち位置に自分を置いてしまったことです。

 

これについては昨年、みちよさんのカウンセラー講座で、自分主体で生きる(=自分を大事にする、自分を愛する)ということをとことん教わって、だいぶ変わってきたのでした(それについては過去記事に書きました)。

 

その当時、カウンセリングをやりたいという気持ちがあったわけでは全然なくて、受講したのは流れのようなものだったのですね、当時周りにいた友人が皆みちよさんを絶賛してて、よく分からないけど何か気になる、っていう。

 

その講座は、過去記事に書いたように、私にとってはすごく辛いものだったのですが、わたしが自分を取り戻すのに不可欠だったな、と思います(さらに、思いがけない副産物として、今、フィボナッチをやる前のヒアリングに、みちよさんから教わったカウンセリング手法がかなり直接的に役立っていたりします)。

 

今年の3月、フィボナッチ音叉というツールを私が手にすることになったのは、もう本当に流れとしかいいようがないものでした。翻訳を担当させていただくことがなかったら、たぶん、行っていなかったでしょう(そのあたりの経緯はこちらの記事の前半に書きました)。ハワイで学んでいる間も、これを私が家族や友人以外の方々にしていくのかどうか、というのは謎のままでした。まだ、目に見えないものを扱うのが怖かったからです。

 

日本に帰ってきてから最近までは、とりあえず「やってみる」段階でした。とにかく、フィボナッチ音叉のエネルギーに触れ、セッションを重ねる毎日でした。

 

それでも、最近まで、自分が「ヒーラーである」という覚悟や意識はまだないままでした。

 

私にあったのは、ただ、素晴らしいツールを得てしまったから、必要な人に渡したい、私で止めておくのはもったいない、という気持ちで、仲介者的な、一歩引いた立ち位置で留まっていました。

 

最近、そのフェーズが終わったのを感じます。

 

フィボナッチプロセスを行うにしても、やはり、今の私が、最大限のチカラをセッションで引きだそうとすると、キネシオロジーの力を使うことになるのでした。

 

3年前とは違い、遠隔というか、自分の体を代替にして、距離が離れていても反応がとれるようになったので、遠隔セッション中でも、対面のセッション中でも、フィボナッチプロセスに入るタイミング、入れないなら、何が引っかかっているの?どう調整すればいいの?などなどをキネシオロジー的リーディングをつかって読みます。

 

これは、フィボナッチをモニターでやらせていただいた当初からそうだったのですが、最近、ようやく、そういう自分に「OK!」が出せるようになったなぁと感じるのです。

 

ちょっと前までは、そのことが、3年前からの目に見えないチカラへの拒否とあいまって、ちゃんと認められていなかったのです。

 

キネシオロジーをやめたとき、何人かの方が、再開するときは連絡ください、と言ってくださっていました。でも、わたしは罪悪感や恥ずかしさでいっぱいで、これまで、連絡を取ることができませんでした。キネシオロジーのセッションはもうやっていないし、、、というのもありました。

 

でも最近、ちょうど「キララワークス」と名前を付けた後だったのですが、その方々に連絡させていただこうかな?とふと思ったのです。迷って、結局連絡しないままだったのですが、なんと、そのドンピシャのタイミングで、当時来てくださったクライアントさんの一人が申し込んでくださって、最近、フィボナッチをさせていただくことができました。

 

そして、結局、わたしがやっているセッションは根本的には何も変わってない、音叉というパワフルでかつ自分に相性が合うツールを手に入れたことと、自分を見失わなくなった(笑)だけかも?と思ったら、もう本当に嬉しくて!やっと、戻ってきた!という喜びに溢れています。その今を書き留めておきたくて、書きました。

 

Magnolia and moon

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マルセイユタロットで見たこれからの私と抵抗

先日フィボナッチとの交換でやってもらったマルセイユタロットのセッションがとても深かったのでそのメモと、そこから思い浮かぶ個人的つれづれ更新です。

 

mypicts

(カモワン版マルセイユタロットの写真は掲載NGなので、他のマルセイユタロットで代用。これが書きたくてダミーのマルセイユ版買っちゃったじゃん!・・・まぁ、常々、カモワンタロットの展開を引用したいときに、写真出せないのが不便だと思ってたから、というのもあるのだけど)

 

「ヒーリング系のお仕事について、これからどんな感じ?」という、占い的な軽いノリでやってもらったやつなんだけど、とっても的確で、奥が深い。

 

わたしが後から思いついた所感も混合で書くけれど、過去(左下、逆位置の「節制」)でヒーラーとしてコケて、目に見えないもの怖い!現実しか信じない!となった後、現在(中下、逆位置の「斎王」)はスピに関わりつつも「あくまで人間としてやります!」というスタンスで外の様子をうかがってる感じ・・・福岡でひきこもり中(笑)

 

そして、どちらも、「1人」でやってる。

 

しかも、過去は天使としてやってて、現在は人間としてやってるんだけど、未来(右下、正位置の「力」)は11。カモワンタロットの構成の中で、天と地のちょうど、真ん中。真ん中!

 

宇宙からのメッセージを聴きながらも、地に足を着けて現実を生きて、、、その中庸に立てたらどんなにいいか!!!

 

***

 

上の2枚が解決策を示すカード。

 

見るからに「上の声を聴け」という感じ・・・・・・。そして、「もう1人でやる段階は終わりだよ」ってことなんだろうと思います。

 

1人でやろうとしない。人とともにある。それが、、、、、、まさに今のテーマで、、、、、私が最も苦手とすることのような気がします。。。。。。

 

3年前、対人恐怖から抜け出した(と思った)ときに、もう怖くないよ!って自分に言い聞かせるあまり(でもホントは怖いから)人間をスキップして、天使界に行っちゃったんだなぁ・・・(汗)

 

痛い思いして地上に降りてきて、今度はスピに対して斜に構える。。。

 

なんかもう、そういう反復横跳びみたいなことしてないで、ただの自分に、真ん中に、戻りなよ、ってことですね。

 

でも、人が怖いのよね・・・。今、まだ残る対人恐怖の残骸が、大きなテーマです。

 

***

 

解決カードの下部に3人ずついるけれど、これは、翻訳とデザインとヒーリングの3つ、これからもやっていくってことなのかなと思ったり。。。

 

翻訳は、、、、、、単に対人恐怖で人と関わりたくなかったから翻訳者になっただけで、人と関われるようになったらやめよう、やめようと思い続けて10年以上。でも、つい最近、大きい案件をやったときに、訳しているときの感覚が、前と全然違っていたのです。

 

前だったら推敲時にしか出てこないような流れの訳文が、初めから出てくるようになっていて、、、驚きました。こういうのがフィボナッチの地味な効果なのかもしれないと思います(フィボナッチ数列の周波数は本来の能力を開花させると言われている)。

 

こんな感じでできるのだったら、これからも翻訳、(分野は変わるかもしれないけど)続けたいかも???と少し思い始めてる。これはごく最近起こった、大きな心境の変化。

 

でもね、できなかったことができるようになるのは単純に楽しいけれど、、、、、、できるようになった瞬間は特に興奮するけれど、それが当たり前になると、できる・できないなんて、どうでもよくなってくる。。。。。。

 

つまり、人と関われない(cannot)から人と関われる(can)ようにすることはできたの。でもね、canになって思うんだけど、わたしがほしかったのはcanじゃない。人と関わって、かつ安心していられる(be)ことだった・・・・・・

 

それは、「もっとこうすれば」そうなるってものじゃなくて、ただ、「そうなりますか、やめときますか」みたいなものなのかも。

 

本当にほしかったものなんだけど、いざ、手に入りそうな距離まできてみると、絶対に近づきたくないとも思う。なんなんだろうねぇ、この恐怖。

 

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変えようとすると変わらない

ちょっと前に「セッションを受けたのに「変わってない」と思うとき」という記事を書いたばっかりですが、舌の根も乾かぬうちに違うことを書きます。

 

「自分を変えよう」と思って払ったお金、つかった時間。無駄とは言わないまでも(いやー無駄なんてとても言えない、そこにダダ漏れにつかってきた多大な時間とお金があるから、これを実体験から言える)、アンハッピーな、、、消耗するほうにいっている、と最近あらためて思いました。

 

「あらためて」です。そう思うのは初めてじゃない。何度も何度も、腑に落ちたと思っていたことなのですが、、、このように、私は何度も「変わらなきゃ病」(変容することは正義!という病w)に容易にとりつかれてしまうのです。

 

なぜかというと、私がスピリチュアルに興味をもったきっかけも、「自分を変えたい」ていう理由だったから。一番大きいのは対人恐怖ね。家を出るのが怖い。人に会うのが怖い。しかもADHD傾向で時間に間に合わない。会社に毎日定刻に行くっていうだけで大変すぎました。でも、絶対に実家に頼らずに自分を食べさせていくためには、会社に行って稼がなきゃいけなかった(途中でフリーランスになれたけど)。

 

だから、「自分を変えたい」という人の気持ちが痛いほど分かる。変わりたいよね!変わるにはどうすればいいだろうね!?って、変わる方法を一緒になって探してしまう。。。

 

実際、今の時点から過去を振り返ってみると、私は「大きく変わった」と思うのだけど。。。。。。

 

「変えよう」としてたときは変わらなかった><(どうして、こういう重要なことを忘れてしまうんだろうね(滝汗))

 

思うのは、「ここが気に入らないからこう変えたい」というとき、本当は、、、自分が嫌いなんですよね。もちろん、その奥底では好きになりたい。好きになりたいんなら、その場で、無条件で好きになればいいのに、、、それが難しくてもせめて、好きになる方法探しをすればいいのに、なぜか犯人捜しをするんですよ。ここがこう変われば、好きになれるのにって。自分の嫌いなところ・欠点を消し去りたい。それさえなければ私の人生ハッピーなのに!!!て。そういうときって、自分の欠点しか目に入ってないの。ずっと欠点だけを一生懸命見続けてる状態だから、あーまだ変わってない、変わってない、って焦るの。

 

私だって、今すごい楽になったけど、だからといって、毎朝定刻に会社に行けるのかっていうと、、、、まぁ1か月くらいなら頑張れるかもしれないけど、年単位ではムリっす。でも、そもそも、会社勤めなんてしたいんだっけ?という話です。したくないことができなくてもいいのです!!!

 

どこを見るか、が現実をつくり、今、目を向けているものが現実なの。だからね、不幸になりたいんなら欠点ばかり見てればいいけれど、そうじゃなくて、本当は幸せになりたい!のなら、欠点を見るのは得策じゃない、、、しかもわざわざ掘り出す必要なんてないと思う(見る必要がある闇はあると思う、、、けれどね、それは、向き合う時期がこれば、嫌でも勝手に出てきて見ざるを得なくなるから大丈夫!)。

 

結果として変わるのはいいんだよ。素直に喜べばいい。とはいっても、そもそも、人は変わっていくもので、それは本人がそう選び取っていくもの。〜のおかげで変わった、みたいなのはおこがましいと思う。

 

というわけで、これからは、これからも、自分を、人を「変えよう」としないことを、あらためて肝に銘じます。

 

Magnolia and moon

去年の6月に撮った泰山木の花。なつかし〜!

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吹っ切れました&人についていかない

ここ数週間、迷いの中にいましたが、ここ数日でほぼ吹っ切れました。

 

いろんなことが絡み合っていて、話し出すと止まらないけれど、今は、現時点で整理がついている部分について少し書きます。

 

2013年の頃のわたしと今の私の共通のテーマ(そして、たぶん、わたしの人生のテーマ)のひとつは「人についていかない」ということなんだろうなぁと。

 

世界を「信頼できるソース」と「信頼できないソース」に分けて、「(信頼できる)○○さんが言っていたんだから□□だ」「○○さんの本(ブログ)にこう書いてあったから□□だ」「○○さんはこう言っていたけど、、、、、、(あの人の言葉は100%信用できないな)、、、、、、ほぅ、ネットで調べたらそれに対してはこういう黒い噂がある、やっぱりな」などなど。

 

ずーっとそういうことをしてきた気がします。

 

自分の言葉を、「信頼できる人」の意見で裏取りするのは、もう、やめたいです。

 

○○さんが言ってたから、、、っていうのはもういいわ。。。

 

ついていきたかったんだと思います。この人についていけば間違いない!みたいな人。権威といってもいいかな。

 

この人(自分が目上だと思っている人)がこうしているなら、私もこうして大丈夫、って思えるような人を見つけては、行動の基準にしているところがありました。

 

でも、人生のあらゆるシチュエーションで、常に私の理想どおりに振る舞ってくれるような特定の人がいるわけもなく。そもそも、その理想ってわたしの中!!!にあるものじゃん、、、、、、

 

(その理想が自分では分からなかったから、キネシオロジーに魅力を感じたけれど、ね、そのあたり、ちょっとまだ、自分の中で整理がついていませんが、、、)

 

とにかく、一瞬一瞬、「自分で」感じて、考えて、行動するしかないんだなぁ、っていう、スピとかはまっていない人であれば超当たり前にやっているだろうところに戻ってきています。

 

とりあえずここでいったん切ります。

 

河内藤園(北九州) Kawachi Fuji Gardens in Kitakyushu, Fukuoka, Japan

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