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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

マルセイユタロットで見たこれからの私と抵抗

先日フィボナッチとの交換でやってもらったマルセイユタロットのセッションがとても深かったのでそのメモと、そこから思い浮かぶ個人的つれづれ更新です。

 

mypicts

(カモワン版マルセイユタロットの写真は掲載NGなので、他のマルセイユタロットで代用。これが書きたくてダミーのマルセイユ版買っちゃったじゃん!・・・まぁ、常々、カモワンタロットの展開を引用したいときに、写真出せないのが不便だと思ってたから、というのもあるのだけど)

 

「ヒーリング系のお仕事について、これからどんな感じ?」という、占い的な軽いノリでやってもらったやつなんだけど、とっても的確で、奥が深い。

 

わたしが後から思いついた所感も混合で書くけれど、過去(左下、逆位置の「節制」)でヒーラーとしてコケて、目に見えないもの怖い!現実しか信じない!となった後、現在(中下、逆位置の「斎王」)はスピに関わりつつも「あくまで人間としてやります!」というスタンスで外の様子をうかがってる感じ・・・福岡でひきこもり中(笑)

 

そして、どちらも、「1人」でやってる。

 

しかも、過去は天使としてやってて、現在は人間としてやってるんだけど、未来(右下、正位置の「力」)は11。カモワンタロットの構成の中で、天と地のちょうど、真ん中。真ん中!

 

宇宙からのメッセージを聴きながらも、地に足を着けて現実を生きて、、、その中庸に立てたらどんなにいいか!!!

 

***

 

上の2枚が解決策を示すカード。

 

見るからに「上の声を聴け」という感じ・・・・・・。そして、「もう1人でやる段階は終わりだよ」ってことなんだろうと思います。

 

1人でやろうとしない。人とともにある。それが、、、、、、まさに今のテーマで、、、、、私が最も苦手とすることのような気がします。。。。。。

 

3年前、対人恐怖から抜け出した(と思った)ときに、もう怖くないよ!って自分に言い聞かせるあまり(でもホントは怖いから)人間をスキップして、天使界に行っちゃったんだなぁ・・・(汗)

 

痛い思いして地上に降りてきて、今度はスピに対して斜に構える。。。

 

なんかもう、そういう反復横跳びみたいなことしてないで、ただの自分に、真ん中に、戻りなよ、ってことですね。

 

でも、人が怖いのよね・・・。今、まだ残る対人恐怖の残骸が、大きなテーマです。

 

***

 

解決カードの下部に3人ずついるけれど、これは、翻訳とデザインとヒーリングの3つ、これからもやっていくってことなのかなと思ったり。。。

 

翻訳は、、、、、、単に対人恐怖で人と関わりたくなかったから翻訳者になっただけで、人と関われるようになったらやめよう、やめようと思い続けて10年以上。でも、つい最近、大きい案件をやったときに、訳しているときの感覚が、前と全然違っていたのです。

 

前だったら推敲時にしか出てこないような流れの訳文が、初めから出てくるようになっていて、、、驚きました。こういうのがフィボナッチの地味な効果なのかもしれないと思います(フィボナッチ数列の周波数は本来の能力を開花させると言われている)。

 

こんな感じでできるのだったら、これからも翻訳、(分野は変わるかもしれないけど)続けたいかも???と少し思い始めてる。これはごく最近起こった、大きな心境の変化。

 

でもね、できなかったことができるようになるのは単純に楽しいけれど、、、、、、できるようになった瞬間は特に興奮するけれど、それが当たり前になると、できる・できないなんて、どうでもよくなってくる。。。。。。

 

つまり、人と関われない(cannot)から人と関われる(can)ようにすることはできたの。でもね、canになって思うんだけど、わたしがほしかったのはcanじゃない。人と関わって、かつ安心していられる(be)ことだった・・・・・・

 

それは、「もっとこうすれば」そうなるってものじゃなくて、ただ、「そうなりますか、やめときますか」みたいなものなのかも。

 

本当にほしかったものなんだけど、いざ、手に入りそうな距離まできてみると、絶対に近づきたくないとも思う。なんなんだろうねぇ、この恐怖。

 

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変えようとすると変わらない

ちょっと前に「セッションを受けたのに「変わってない」と思うとき」という記事を書いたばっかりですが、舌の根も乾かぬうちに違うことを書きます。

 

「自分を変えよう」と思って払ったお金、つかった時間。無駄とは言わないまでも(いやー無駄なんてとても言えない、そこにダダ漏れにつかってきた多大な時間とお金があるから、これを実体験から言える)、アンハッピーな、、、消耗するほうにいっている、と最近あらためて思いました。

 

「あらためて」です。そう思うのは初めてじゃない。何度も何度も、腑に落ちたと思っていたことなのですが、、、このように、私は何度も「変わらなきゃ病」(変容することは正義!という病w)に容易にとりつかれてしまうのです。

 

なぜかというと、私がスピリチュアルに興味をもったきっかけも、「自分を変えたい」ていう理由だったから。一番大きいのは対人恐怖ね。家を出るのが怖い。人に会うのが怖い。しかもADHD傾向で時間に間に合わない。会社に毎日定刻に行くっていうだけで大変すぎました。でも、絶対に実家に頼らずに自分を食べさせていくためには、会社に行って稼がなきゃいけなかった(途中でフリーランスになれたけど)。

 

だから、「自分を変えたい」という人の気持ちが痛いほど分かる。変わりたいよね!変わるにはどうすればいいだろうね!?って、変わる方法を一緒になって探してしまう。。。

 

実際、今の時点から過去を振り返ってみると、私は「大きく変わった」と思うのだけど。。。。。。

 

「変えよう」としてたときは変わらなかった><(どうして、こういう重要なことを忘れてしまうんだろうね(滝汗))

 

思うのは、「ここが気に入らないからこう変えたい」というとき、本当は、、、自分が嫌いなんですよね。もちろん、その奥底では好きになりたい。好きになりたいんなら、その場で、無条件で好きになればいいのに、、、それが難しくてもせめて、好きになる方法探しをすればいいのに、なぜか犯人捜しをするんですよ。ここがこう変われば、好きになれるのにって。自分の嫌いなところ・欠点を消し去りたい。それさえなければ私の人生ハッピーなのに!!!て。そういうときって、自分の欠点しか目に入ってないの。ずっと欠点だけを一生懸命見続けてる状態だから、あーまだ変わってない、変わってない、って焦るの。

 

私だって、今すごい楽になったけど、だからといって、毎朝定刻に会社に行けるのかっていうと、、、、まぁ1か月くらいなら頑張れるかもしれないけど、年単位ではムリっす。でも、そもそも、会社勤めなんてしたいんだっけ?という話です。したくないことができなくてもいいのです!!!

 

どこを見るか、が現実をつくり、今、目を向けているものが現実なの。だからね、不幸になりたいんなら欠点ばかり見てればいいけれど、そうじゃなくて、本当は幸せになりたい!のなら、欠点を見るのは得策じゃない、、、しかもわざわざ掘り出す必要なんてないと思う(見る必要がある闇はあると思う、、、けれどね、それは、向き合う時期がこれば、嫌でも勝手に出てきて見ざるを得なくなるから大丈夫!)。

 

結果として変わるのはいいんだよ。素直に喜べばいい。とはいっても、そもそも、人は変わっていくもので、それは本人がそう選び取っていくもの。〜のおかげで変わった、みたいなのはおこがましいと思う。

 

というわけで、これからは、これからも、自分を、人を「変えよう」としないことを、あらためて肝に銘じます。

 

Magnolia and moon

去年の6月に撮った泰山木の花。なつかし〜!

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吹っ切れました&人についていかない

ここ数週間、迷いの中にいましたが、ここ数日でほぼ吹っ切れました。

 

いろんなことが絡み合っていて、話し出すと止まらないけれど、今は、現時点で整理がついている部分について少し書きます。

 

2013年の頃のわたしと今の私の共通のテーマ(そして、たぶん、わたしの人生のテーマ)のひとつは「人についていかない」ということなんだろうなぁと。

 

世界を「信頼できるソース」と「信頼できないソース」に分けて、「(信頼できる)○○さんが言っていたんだから□□だ」「○○さんの本(ブログ)にこう書いてあったから□□だ」「○○さんはこう言っていたけど、、、、、、(あの人の言葉は100%信用できないな)、、、、、、ほぅ、ネットで調べたらそれに対してはこういう黒い噂がある、やっぱりな」などなど。

 

ずーっとそういうことをしてきた気がします。

 

自分の言葉を、「信頼できる人」の意見で裏取りするのは、もう、やめたいです。

 

○○さんが言ってたから、、、っていうのはもういいわ。。。

 

ついていきたかったんだと思います。この人についていけば間違いない!みたいな人。権威といってもいいかな。

 

この人(自分が目上だと思っている人)がこうしているなら、私もこうして大丈夫、って思えるような人を見つけては、行動の基準にしているところがありました。

 

でも、人生のあらゆるシチュエーションで、常に私の理想どおりに振る舞ってくれるような特定の人がいるわけもなく。そもそも、その理想ってわたしの中!!!にあるものじゃん、、、、、、

 

(その理想が自分では分からなかったから、キネシオロジーに魅力を感じたけれど、ね、そのあたり、ちょっとまだ、自分の中で整理がついていませんが、、、)

 

とにかく、一瞬一瞬、「自分で」感じて、考えて、行動するしかないんだなぁ、っていう、スピとかはまっていない人であれば超当たり前にやっているだろうところに戻ってきています。

 

とりあえずここでいったん切ります。

 

河内藤園(北九州) Kawachi Fuji Gardens in Kitakyushu, Fukuoka, Japan

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しがみつく幻影と記憶

先週半ばから、パンドラの箱をあけてしまったような状態です。

2013年にキネシオロジーのサロンを始めて、いろいろあって、何もかも怖くなってしまってやめてしまったんだけど、最近、その頃の自分+αに向き合っています。

いろんな感情と記憶が交錯しています。

2013年のことだけじゃなくて、幼い頃(もしくは過去世のようなもの)までさかのぼってね。

2013年のキネシオロジーサロンは、2〜3か月ちょっとで100人のモニターさんを施術させていただいて、これから!というときにコケました。

そして先日、フィボナッチヒーリングも施術回数100回を超えました。

よし、自分を開いていくぞ、と決めた矢先に、私がもともと持っている闇が覆い被さってきて、しっちゃかめっちゃか。

これは、体感としては慣れ親しんだ「うつ状態」そのものなのですが、底流がそうなだけで、ダウンせずに動けている時間も多いから(料理とかもしてる)、まぁ、客観的には単純にうつとは言えないのだけど。

能古の島の帰り Sea near Nokonoshima

そんな中、最近の大きな発見は、うつ状態や体調不良に対するフィボナッチの即効性。

先週、あ、、、これはもしかしてうつに入っているかも、、、と気づいた直後に、たまたま、静岡でIHキネシオロジーとフィボナッチヒーリングなどをやっているTOMOKOさんとの交換セッションの予定が入っていて、遠隔でフィボナッチをやってもらったのです。

このときほど、フィボナッチのエネルギーってすごい!!!!と思ったことはなかった気がします。

体調がここまで悪いときにドンピシャでヒーリングを受けるっていう経験自体、これまであまりなかったのです。

ヒーリングの予約って普通は事前に取っておくものですよね。それが、本当に辛いときにあたるって、あまりなかった気がします。

わたしにとっての鬱って、、、胸のあたりに黒くてかたくて冷たくて重いものがこびりついている感じ。それが一気にほどけて、光が入ってきて、全身が温かくなって、エネルギーが回り始めて、視界が明るくなって、、、、生還した!!!という感じでした。

フィボナッチヒーリングならではのパワフルさ。遠隔でもこれほどの変化を起こせるということ。体感としての重苦しさがある状態でなければ、ここまでは実感できなかったなぁ、と。

その後、友人から「生理痛で動けない」というヘルプが来て、フィボナッチをやらせてもらったら、やはり、即効で動けるようになって午後の仕事が無事できたらしいです。

そんな感じで、最近は、フィボナッチの身体症状に対する即効性を、受ける側としても、やる側としても実感しています。

でも、そもそも、今こういう不安定な状況にあるのは、深いところから何かが出てこようとしている余波なわけで(それはフィボナッチのバイブレーションで刺激された可能性が高く)、、、、、、その余波をかぶったことによる身体的な「痛み」や「不調」は、タイムリーなセッションで和らぐとしても、次々と新たな澱(「新たな」という表現は厳密にいえば違う。もともとあったけど、見ないことにしていたもの。どちらかというと古い記憶や感情)が浮上してきて、その繰り返しで、うぎゃーーーとなっているわけですが。

といっても、これ、昨日やってもらったセッションで、ほぼ抜けてきた感じがします(まぁ、だからこそ文章にできるわけですね。ホンマに辛いときは書けません!)。ちょっと様子を見て、続編を書きたいです。

まあ、乗り越えられるから、乗り越えられるものが、乗り越えられるときに、出てきているのだろうなぁ、と思います。
 
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セッションを受けたのに「変わってない」と思うとき

書く、書くって言って書いてないことが多いのだけど、、、

ちょっと前まで、毎日朝6時半からふみぃさんとフィボナッチの交換セッションをやっていて、お互いに44回やったところで一旦終了したのでした。

今思えば、好転反応を感じる暇もない程の、怒濤のスピードで、連日いろんなレベルでの癒しが起こった濃い時間でした。その中でも「あの日のあれは大きかった」っていうのがいくつかあって、その中のひとつについて、今日は書きたいのです。

あ!たとえばこの記事にチラッと書いたやつも、そういう記憶に残るセッションのひとつだわ。。。これは今回書きたいこととはまた別の話で、まだ書けていないんだけど、この頃とくらべると、本当にいろいろ変わったなぁ、としみじみ思います。

家は模様替えして別の家のようになったし、夫も別人のようだし(今までと180°違う社風の会社に転職して、、、OSの入れ替え?くらいの変容中。まさかの展開で面白いw)、私も夫に別人のようだと言われるし(料理や掃除や洗濯が前ほど苦じゃなくなった)、絵を描くのは怖くなくなったし、、、、、数か月間の間に起こる変化とは思えないですわ。

ていっても!まだ家を出るのに時間かかるから食材の買い物は苦手だし、先延ばし癖は健在だし、、、などなど、できないこと、変わっていないことを挙げようとすれば、これまた、たくさん書けるのです。もともと私はADHD&アスペルガー的な要素があって「普通の人には簡単にできるらしいけど私は苦手」ってことがとても多いからね。

でも、今日は、重要なポイントだと思うから、あえて書きます。

私は、いつもなら、その「変わってないこと」をブログで書く必要を感じないのね。できるようになったところを喜びたいし、記録に残しておきたいから、変わってないことについてはブログでは書かないの。それは、多くの人がそうなんじゃないかな???あんまり変わってないなーと思ったことをわざわざ書かないでしょう。だから、必然的にネット上には「こんなに変わりました〜!」だけが出回ることになる。。。

昨日、私の遠隔セッションを何度か受けていただいている方が「他の人のフィボナッチの感想を読んでいると、『すごく変わった!!!』って書いてあるのに、、、どうして私は変わらないんだろう」っておっしゃっていたので、今日はあえて書いてます。

私からすると、その方と話していて受ける感じは、最初の頃とは結構違っているのですが・・・・・・でも、ご本人としては、ピンとこないってこと、あると思うのです。

「変わりたい!」って思うから、お金を払って受けているんでしょう、本人が気づけない「変化」に意味があるの?って思いますよね。

このあたり、キネシオロジーを使えば、そのセッションでどういう変化が起こったの?っていうのは言葉で特定できるけど(シェアリングでお伝えしているのはその部分)、本人の実感とはまた違うレベルだから、言葉でお伝えしたところで、ご本人の「変わった!」という実感につながるかどうかは・・・・・・。

もちろん、体感としてすぐ変化を感じる場合もあります。

いろんなケースがあるんだと思います。

私も、今トータルでフィボナッチのヒーリングを60回くらい受けていて(あははーフィボナッチを習って一番良かったのはコレかもw)、毎回テーマは設定するけれど、それについてすぐ「変わった!」と思うときもあるし、ピンとこないこともある。

さっき書いたように、大きく変わった部分はたくさんあるんだけど、私は決して、、、「料理が苦なくできるようになりたい」なんて思ったこともなかったし!別に作らなくていいなら作りたくないし!(笑)そんなこと意図した覚えなんてない!のです。

先延ばし癖とかね、対人恐怖とかね、自分にとっての本丸ともいえる問題。そういうのについて、取り組んできたつもりでした。本当に変えたかったのはそこ。で、それについて、目に見えるような変化が出てきているか?というと、、、正直、分からないです。お、進んでる?って思うこともあるけど、一進一退です。

セッションでは、その本丸問題の要因になっているさまざまな心の癖、、、たとえば、自己価値の低さとかね。そういうのを地道にタマネギの皮むきみたいに進めている感じなのです。

おそらく、料理や掃除ができるようになったりしているのは、自己価値が上がってきたことによる、思いがけない「副作用」みたいなものなんだと思うのですね。

で、ある日、あれ?私料理ふつーにしてるじゃん、辛くなくない?ってことに気づいて、「スゲー自分!」って思えることで、自己価値がさらに向上するっていう、そういうプロセスの中に、今いるんだと思います。

***

私はまだ模索している段階だけど、自分の「心の声」を意図的に聞かない、聞こえない設定にしてきた人の場合。両親の声とかね、世間の声をずっとずっと優先してきた人の場合。私もそうなのですが、まず、自分の本当の気持ちに気づくセンサーを育てる必要があるんだと思います。

自分の本当の気持ちを感じるのって、言葉で言えば素敵だけど、長年それをやらないできた人にとって、相当まどろっこしいプロセスだし、相当ストレスでもあると思います。

だから、抵抗も生じる。

でね、その、、、慣れてない「心の声」がわき上がってきたときにね、「ん、このモヤモヤ、イケナイモノデスネ、ムダナモノデスネ」とフィルタリングして、なかったことにしちゃったりするんですよ!脳が!勝手に。無意識に。

でも、そこを感じていく、味わっていく、なんか、そういう地味で、けっこう痛い、、、プロセスなんだと思うのです。抑圧してきた本来の自分を出していくときって。特に、言葉や対話でやろうとすると、痛い。

その分、フィボナッチは、ダイレクトに、波動(音の振動、周波数)で根本から「チューニング」してしまう。鳴ってる音叉を鳴ってない音叉に近づけると鳴るというのと同じで。体感としては「気持ち良かった!」とか、ひたすら「よく眠りました!」みたいな。。。(笑)だから、自分が見てない部分については、変化を知覚できないのも分かる、、、、、、

でも、(他人の声ではなくて)自分の声を聞くっていう感度が育ってこれば、自分の変化にも気づきやすくなってくる。だから、ピンとこない状態である場合、まず、そのセンサーを開くような変容が、まず起こってくるんだなーーー、で、それは自分ではなかなか気づけないよなぁ、と思ったりするのです。

で、感じるチカラを育てるには、本当は、こういうセッションを受ける以外にも、本当にいろんな方法があると思うのですよね。

魔法のようにね、ある日、「感じるチカラ」が授けられたらそりゃあいいな、って、思うんですけど。でも「感じる」って、自分がやることですからね・・・・。いや、むしろそこは、セッションを受ける(受け身)というよりも、「あ、わたし感じてないんだ」と気づき、「よし、(痛いかもしれないけれど)感じよう」と思うかどうか、というか。

私にそれを教えてくれたのはみちよさんで。(感じるチカラを開くには)自然に触れること。感情を紙に書くこと、などなど、、、やってるときは「こんなんに何の意味があるの!」とプンスカしてましたが、本当にやってよかったなぁ、と。

うーん、まとまらなかった^^;;;

しかも、今日は、先月やってもらった「時間は私のもの」のセッションについて書きたかったのに!!!記事のタイトルは付け直そう、、、また書きます。。。

Fibonacci Tuning Forks - フィボナッチ音叉
フィボナッチ音叉、撮り直し第1弾。
こういう低い音(長い。重りついてる)から高い音(短いほど高い)まで9本の音叉を、低い方から高い方へ順に使っていきます。
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