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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

MICAさんの足もみ (3) ハートで生きること

「私、ハートで生きたら、技術翻訳ほとんどやらなくなる気がします」といったら、MICAさん、「それも頭が言ってる」と即答でした・・・。

あ、大分間があきましたが、MICAさんの足もみ (2) 咳が伝えていたこと の続きです。

MICAさん:何をそんなに焦っているの?

わたし:今年の秋、IHキネシオロジーを習いたいと思って、、、そのためには、技術翻訳をもっと請けてお金作らなくちゃ!でもWebデザインに時間割いてるから断ってる!でもお金稼ぐためには請けなきゃ!(今秋にIHというのは、もう少しで福岡に転居しちゃうから・・・という焦り)

MICAさん:それハートが言ってる?

IH習いたいっていうのは、「私はこれができます」と人にいえるものを身に着けて、何者かになりたい、という、多くの人が陥りがちな「スピリチュアル・エゴ」。

自分のスキルを切り売りしてる。でもえりこさんのウリはそこじゃないよ。

それに、今の旦那さんなら、1週間、東京にIHの合宿に行ってきます、って言っても、何も言わないでしょ?

***

私は技術翻訳をやりたくない、自分の仕事じゃない、と思っているけれど、良い波動の成果物を世に送り出すことは、ヒーリングだよ?読んだ人に波動が届くんだよ?MICAさんのお仕事は1対1で癒すけど、翻訳は1対多なんだよ?

「翻訳もヒーリング」その言葉を受けて、3週間くらい、考えてきました。

私は、かかわるすべての仕事について、「自分の達成感」を目標にしてきたことに気づきました。

翻訳だと「納期」。Webだと、同じく「納期」、そして、(直接人に見られるものだから)すごいね、綺麗だね、と人に評価されるものを創ること。ヒーリングだと、やはり、すごい、良かった〜♪って評価されることなのかな・・・・・・(書いていると悲しくなるね)

Webの案件を進めるために、技術翻訳をたくさん断ってることを話すと、「Webは本当にハートでやりたいと思ってますか?」ハートに手を当てて感じてみて、と。

そこでも、感じたのは「焦り」でした。

そう、Webも、そのとき、納期(自分で指定したものだよ・・・)が迫っていて、その納期までに何かのカタチにしなくちゃと、焦っていたのでした(その間、技術翻訳は止めていて、そういう焦りも混じってる、、、、)。

MICAさん:今請けている人に対して、どういう思いでつくってるの?

わたし:その人の伝えたい思いを、フィーリングで理解して、その人の思いが最も伝わりやすい形で表現したい、、、

MICAさん:あ、今ハート動いたよね!納期ではなく、そこにフォーカスするだけで全然違うよ!

***

納期もそうだけど、やっぱり、「みんな」に受け入れられるものを創りたかったんだな・・・・・「みんな」に褒められたかったんだな・・・・・・



IHをハートから習いたいのか、そうでないのか、今、わたしはまだ内観中です。

キネシオロジーの不思議も、タロットのすごさも。いろいろな変化が目の前で起こります。今も。

前だったら、目を輝かせてていただろうその変化が、今はいい意味で当たり前で。変容っていいなぁ、ステキだなぁ、とは思うけれど、心がしーんとしていて。周りが盛り上がっていたら、懐かしい、とは思っても、今の自分からは湧いてこない・・・。

熱狂できない自分を儚んでいて、さみしい、、、、、、、、まさに秋のような心のうち。

そして、そういう魔法のようなテクニックだけではできないこと、、、今自分が自分にやっているような地味なことが、結局のところ、自分には必要だったと思っているから。。。

そういう自分で、IHキネシを本当に習いたいのか、って、たしかに、もしかしたらいつか必要で習うかもしれないけれど、今じゃない気もする。今の私は、実力のあるヒーラー、セラピストさんを何人も知っているし、もし目の前に必要な人がいれば、合うだろう人に紹介できるし、必要なら、合う合わないくらいならキネシでさらっとみられるし、自分でガッツリなヒーリングをやらなくてもいいのかな。

とかいって、数か月後、やっぱりやりたい!ってなってるかもしれないけど^^;;;とにかく、私は何でもやってみたい!人だったので・・・その名残なのか、私の本質なのか。

いずれにしろ、ピークだった頃と同じくらいの量の技術翻訳を、最近はやってます。うん、何度もやめようとしたけれど、やめられない技術翻訳。腐れ縁。断り続けていたら単価が上がった会社もあったりして。私のほうが手放していないのは絶対あると思う。

今、だいぶお金が好きになってきたから、今はお金がほしい、というのもある。

7月のハワイ行きは、初めて、楽しいことに対してお金を注ぎ込んだから、お金つかうって楽しい!って初めて思った。ぎりぎりゼロにはならないくらい、使い切った。だからほぼゼロからのスタート。

とにかく、今のことしか分からない。

時期が来れば、それも、変わっていくのかな???
 
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自由が丘「空と海の箱庭 マクロ撮影会」に参加します

※延期されました。

「カメラを持ったライトワーカー」なかうち佑海(ゆみ)さんが講師で、空と海の写真家佑海さん撮影の空をバックに、クリスタルや貝殻で自由に『箱海』を作って、マクロレンズで撮影するという、佑海さんにしか作り出せないワクワクが詰まった企画なのです。

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  にじFacebookのイベントページへ

ワクワクは感染する、創造性は感染する、といいます。

私も、まんまと、佑海さんのワクワクと創造性の感染にかかった1人です。

ゆみさんに出会ってから、写真を撮ることが好きになり(前は自分が撮った写真を見るものもイヤだった・・・)、絵も描くようになり(絵も同じ)、表現することの恐れからずっと動けずにいたWebのお仕事も動き出すなど、創造性のブロックを壊してくれた恩人です。

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好きな石や小物を持ち込んでOKだそうです!私も石を持っていく予定♪

今回、マクロレンズを持っていない方は、2人までカメラ&マクロレンズを貸していただけるそうです。

キラキラ、フワフワ〜な世界が好きな方ならきっと、一度、マクロレンズ越しの世界を見るとハマると思います。決して肉眼では見ることのできないキラキラ世界が広がっています。

個人レッスンで佑海さんのマクロレンズ付きカメラをお借りして、その世界に一発でハマり、数日後にはマクロレンズを買ったのが私です。。。。。

こんなのが私でも撮れるんだ!プロだけのものじゃないんだ!こういうのが撮りたかったの〜!!!という感動は今でも覚えています(お店で、コンバーターとか、もう少し安いレンズとかも試させてもらったけど、ぜんっぜん違った・・・・・・レンズだけでここまで違うのか、ということが本当によく分かりました)。

私も新たなワクワクに感染するのが今から楽しみです♪

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↑私のハワイ土産も使用されます(笑)

Facebookのイベントページはこちら:『空と海の箱庭 マクロ撮影会』
佑海さんのブログはこちら:碧い空 碧い雲 カメラを持ったライトワーカー
 
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MICAさんの足もみ (2) 咳が伝えていたこと

昨日、MICAさんの足もみに行ってきました。

そして、ハワイ旅行後から3週間続いた咳が、とうとう完全に止まりました・・・。

この咳、友人によるアクセスバーズの施術でだいぶおさまっていたのですが、あと10〜20%くらい残っているような感じだったのです。その残っていたものを今回、出し切ることができました。

初めにMICAさんが感じて伝えてくださったキーワードが「浄化」(ちなみにMICAさんも、ハワイ旅行前後に3か月間くらい咳が止まらなかったことがあるそうです)。

それをヒントに、肺の上に手を当てて、「あなたは何?何を伝えているの?」と感じてみると・・・ぱっと思い浮かんだのが、「自己憐憫」「弱者」という言葉でした。

MICAさんのリーディングの助けを借りながら、理解したところによると、、、
 

私はこれまで、「問題がある自分」というアイデンティティで世の中や人と関わってきた。自分の問題をブログで開示することで、そこに共感した人が集まる、という体験を(幸いにも)した。

その後、癒しを重ね、、、、、とうとう「問題がない自分」になってしまったら、人は去っていくだろう。1人になってしまったら、どう生きていっていいか分からない・・・・・・


と思っていたらしいのです。これは本当に無意識で、、、MICAさんに指摘していただくまで、まったく自覚できていない部分でした。

そういえば、、、これまでの人生を振り返ってみると、「問題がある自分」というアプローチに目覚め、問題の解決に取り組み始める前は、空虚で、何者でもなかったように思います。。。何者でもないし、何かになりたいとも思っていませんでした。

***

私が通っていた小学校では、通学団というものがあって、上級生と下級生が隣り同士で並んで集団登校するルールでした。私と並ぶように先生に言われたある下級生に「えりこちゃんとは並びたくない」「話しててつまらない」と、みんなの前で言われてショックだったことを急に思い出しました。

自分の欠点(みんなのように楽しく会話できないこと)は、自分が居心地悪いだけでなくて、自分がつまらないことで人に迷惑をかけるのか!!!と初めて気づいたのがそのときで、深く傷つき、自分を恥じました。

でもそのとき、「つまらない自分」という問題を解決するという目標ができたわけですから、これは、当時は思いもしなかったことで今から思えばですけれど、一種の生きがいを手に入れたようなものだったのですね。。。

「私ってつまらない人間じゃないよね?」

インターネットが普及して、ブログという自己表現の場ができて初めて、私が抱えている「問題」は私だけのものじゃないこと、似たような人がたくさんいることが分かってきました。たとえば、「雑談が苦手」とか、「問題」を開示することで、人とつながれる!という経験は、当時の私にとって、とても、とても、貴重なものでした。撲滅対象だった「問題」は、ブログのネタとして、存在価値を得たのです。

「私には問題がある」
「だから人とつながれる。」
「問題があるからこの世に居場所がある」
「私は1人じゃない」

このような思い込みは、この世に居場所を見つけられなかった私が到達したひとつの真実だったけれど、もう今のわたしには必要がない思い込みでした。手放せるはずのことにしがみついているよーーーー、というサインが、咳というかたちで出ている。。。

以上の気づきが時間にしたらかなり短い間で起こりました。「つまらなくなっても大丈夫」と心の中で言った瞬間、ふっと上に上がった気がして、MICAさんにも「今カチっと変わったね」と言われました。

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今回、結果的にMICAさんのセッションで咳が止まったけれど、「身体症状をなくすために(ここで言えば咳を止めるために)」何かするのは、薬を飲むのと同じ、ともMICAさんはおっしゃっていました。

いくら波動が良いものを摂っても、すごいと言われる人のヒーリングを受けても、ホメオパシーなどの代替治療を受けても、受け手が、「咳を止めたい」という意識でいる限り、咳止め薬を飲むのと、エネルギー的には、まったく変わらないのですって!

仮にその場では症状が消えても、その人の意識が変わらなければ、必ず、再発するそうです。

この咳は何を自分に伝えているの?とハートでただただ感じていく・・・・・・そして、それを引き起こしている意識を変える。それは、「自分で」やることだ、ということ。

今回は、咳と、MICAさんのガイダンスを通して、ハートで生きる生活のひとつの側面を実体験できた気がしました。

***

「自分には問題がある」という前提で世界のあらゆるモノを見ていた私の態度は、「罪悪感」や「原罪意識」とも言い換えることもできそうです。

つまり、ハワイに行ってからの一連の流れで起こったのは、深い罪悪感の手放しでした。

***

今回のMICAさんのセッションで得た気づきはまだまだあります。またあらためて書きたいと思います。

MICAさんのブログ:MICAの霊的通信
 
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Koshiチャイム!

先日、葉山の滝とマーメイドセラピーに伺ったときに、こずえさんのサロンで聴いて一目(耳)惚れしたのがKoshiチャイム。

Koshi chime

風鈴のようにひとつで鳴らすこともできるし、写真のように音叉のように当てて共鳴させることもできるのです。

目をつぶって、耳元で聴いたそれは、この世のものではない、天上の音でした。

4個あって、それぞれTerra(大地)、Aqua(水)、Aria(風)、Ignis(火)のエレメントに対応した音色に調律されています。
 
 
この4個セットを買ったのがさっき届いて、さっそく風が当たる場所につり下げました。結構強い風でないと鳴らないみたいで、常時鳴り続けることはなく、ちょうどいい感じ。

ネット上で試聴もできるけれど、実際に聴くのとは全然違うのです。キラキラ感も深みも・・・。

どうやら、ヒーリング・グッズ的な使い方もできるみたいです。

 

マーメイドセラピー 本来の自分に戻っていくボディワーク
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スピリチュアルと知性、そして依存

最近、急にカードと関わるようになったのは、ツールと対等でいられるようになってきたから、な気がします。
 

スピリチュアルを「使って」いたつもりだった私

以前、私はスピリチュアルの考え方の「いいところ取り」をしてるつもりでした。

自分(=知性)を操縦席に座らせたまま。自分の心や体は実験台。私は上から、ツールを御しているつもりでした。

私はずっと、心をコントロールしたいと思っていました。

「恐怖心を感じなくするには!」(対人恐怖だったのでね、、、)
「喜びを感じるようにするには!」(スピ系の本がワクワク感がキーだと言うもんで)
「自分中心で生きるには!」(by左脳www)

それをね、できるようにするためのツールが、スピなんだと思っていました。。。。。。
 

信じることへの恐怖

そこにあったのは恐怖だったのだと思います。

とにかく、何かを信じるということは、人間の弱さであり、愚かさなのだと感じていました。占いとか、宗教だとか、偉い人の言うことだとか、人の言うことに簡単に支配される人間って、なんて愚かなんだろう、自分もその一員であることが許せない、いや、自分だけは、何かにハマったりしないぞ、という決意めいたものもありました。

人間、嫌いだったなぁ・・・・・・。

何より、自分が嫌いでした。
 

「知」によって救われてきた自負

でも、そのダメな自分でも、なんとか生きてこれたのは、「知」の力だと無意識に思っていました。

自分の内側から出た言葉を「ちょっと待った!それでは人に受け入れられない!」と否定して、一旦止まって、今ここで求められているだろう表情と言葉に変換する。

そのおかげで、小学校以降はいじめられずに生きてこれたのだと思います。

自分の内側にわきあがるものをそのまま出さないということ、知性を介入させ(そしていかに介入していない風を装うか)は、わたしの核のような部分でした。その能力で、私は救われた。いろんな困難をそれで乗り切ってきた。

その介入テクニックの高度なものが、スピだと思っていました。
 

自己否定=スピ否定=この世における被支配者

スピは、ダメな自分を引っ張り上げるためのツール。。。そのダメな私がツールを御す!?!?!?完全に矛盾ですわ。

だから、当時、私はツールを使う側のつもりで、実質的には、そのダメな自分を改革してくれるツールは、無意識に自分よりも上に置いていたのです・・・。対等ではなかった。自分のチカラを信じていないから・・・・・・この感覚を言葉で表現するのは難しいな。。。

上に見ることは、下に見ることに等しいし、その逆もまたしかりなのだと思います。

わたしは、自分の「知」を否定しながらも、「知」に頼り、依存し、「知」に支配されていました。そして同時に、「スピ」を否定しながらも、「スピ」に頼り、依存し、「スピ」に支配されていたのです。。。。。。

自分は、この世で支配される側であること、つまり被害者としての自分にとらわれていたのですね。。。
 

スピ系ツールとの関係

操縦桿を握っているつもりの私としては、カードが見せてくれる結果も、キネシが伝えてくれる結果も、手放しで信じるわけにはいきませんでした。

タローデパリの場合は特に、カード「に」意味があるわけじゃなくて、そのイメージを見て呼び起こされる自分の内面・・・感情や記憶をとても大切にするのですが、それを口に出すことは、恐怖でした。

矯正しない、そのままの私が思うことなんて価値がないから・・・・・・

それに、カードが語りかけてくることを、もし手放しで信じちゃったら、スピリチュアルに支配されるじゃん、とも思っていました(無意識に上に見てるからね・・・)。だから操縦席でがんばってた。
 

今の気持ち

「私」はたぶん、この数年間のどっかの時点で、操縦席から転げ落ちたんだと思います・・・・・・いや、普通に今も座ってますけれど、自分がダメだからいつも見張ってムチ打って矯正してやらねば、というスタンスではもうない。

あれほど、自己否定を問題にして、自分を肯定しよう、愛そう!と人一倍取り組んできたのに、、、、、、

本当に、なんだったのだろうなぁ、、、、、、

当然、占いにも興味なかった私が、なぜタローデパリのリーディングを学んだのかって・・・・・・流れ、ノリ、としか言いようがないです・・・今思えば、初めてのタロットが「自分を信じる」タローデパリというのも、面白い巡り合わせ。当時は、そういうタローデパリの考え方、まったく分かっちゃいなかったのに!!!
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