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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

MICAさんの足もみ (2) 咳が伝えていたこと

昨日、MICAさんの足もみに行ってきました。

そして、ハワイ旅行後から3週間続いた咳が、とうとう完全に止まりました・・・。

この咳、友人によるアクセスバーズの施術でだいぶおさまっていたのですが、あと10〜20%くらい残っているような感じだったのです。その残っていたものを今回、出し切ることができました。

初めにMICAさんが感じて伝えてくださったキーワードが「浄化」(ちなみにMICAさんも、ハワイ旅行前後に3か月間くらい咳が止まらなかったことがあるそうです)。

それをヒントに、肺の上に手を当てて、「あなたは何?何を伝えているの?」と感じてみると・・・ぱっと思い浮かんだのが、「自己憐憫」「弱者」という言葉でした。

MICAさんのリーディングの助けを借りながら、理解したところによると、、、
 

私はこれまで、「問題がある自分」というアイデンティティで世の中や人と関わってきた。自分の問題をブログで開示することで、そこに共感した人が集まる、という体験を(幸いにも)した。

その後、癒しを重ね、、、、、とうとう「問題がない自分」になってしまったら、人は去っていくだろう。1人になってしまったら、どう生きていっていいか分からない・・・・・・


と思っていたらしいのです。これは本当に無意識で、、、MICAさんに指摘していただくまで、まったく自覚できていない部分でした。

そういえば、、、これまでの人生を振り返ってみると、「問題がある自分」というアプローチに目覚め、問題の解決に取り組み始める前は、空虚で、何者でもなかったように思います。。。何者でもないし、何かになりたいとも思っていませんでした。

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私が通っていた小学校では、通学団というものがあって、上級生と下級生が隣り同士で並んで集団登校するルールでした。私と並ぶように先生に言われたある下級生に「えりこちゃんとは並びたくない」「話しててつまらない」と、みんなの前で言われてショックだったことを急に思い出しました。

自分の欠点(みんなのように楽しく会話できないこと)は、自分が居心地悪いだけでなくて、自分がつまらないことで人に迷惑をかけるのか!!!と初めて気づいたのがそのときで、深く傷つき、自分を恥じました。

でもそのとき、「つまらない自分」という問題を解決するという目標ができたわけですから、これは、当時は思いもしなかったことで今から思えばですけれど、一種の生きがいを手に入れたようなものだったのですね。。。

「私ってつまらない人間じゃないよね?」

インターネットが普及して、ブログという自己表現の場ができて初めて、私が抱えている「問題」は私だけのものじゃないこと、似たような人がたくさんいることが分かってきました。たとえば、「雑談が苦手」とか、「問題」を開示することで、人とつながれる!という経験は、当時の私にとって、とても、とても、貴重なものでした。撲滅対象だった「問題」は、ブログのネタとして、存在価値を得たのです。

「私には問題がある」
「だから人とつながれる。」
「問題があるからこの世に居場所がある」
「私は1人じゃない」

このような思い込みは、この世に居場所を見つけられなかった私が到達したひとつの真実だったけれど、もう今のわたしには必要がない思い込みでした。手放せるはずのことにしがみついているよーーーー、というサインが、咳というかたちで出ている。。。

以上の気づきが時間にしたらかなり短い間で起こりました。「つまらなくなっても大丈夫」と心の中で言った瞬間、ふっと上に上がった気がして、MICAさんにも「今カチっと変わったね」と言われました。

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今回、結果的にMICAさんのセッションで咳が止まったけれど、「身体症状をなくすために(ここで言えば咳を止めるために)」何かするのは、薬を飲むのと同じ、ともMICAさんはおっしゃっていました。

いくら波動が良いものを摂っても、すごいと言われる人のヒーリングを受けても、ホメオパシーなどの代替治療を受けても、受け手が、「咳を止めたい」という意識でいる限り、咳止め薬を飲むのと、エネルギー的には、まったく変わらないのですって!

仮にその場では症状が消えても、その人の意識が変わらなければ、必ず、再発するそうです。

この咳は何を自分に伝えているの?とハートでただただ感じていく・・・・・・そして、それを引き起こしている意識を変える。それは、「自分で」やることだ、ということ。

今回は、咳と、MICAさんのガイダンスを通して、ハートで生きる生活のひとつの側面を実体験できた気がしました。

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「自分には問題がある」という前提で世界のあらゆるモノを見ていた私の態度は、「罪悪感」や「原罪意識」とも言い換えることもできそうです。

つまり、ハワイに行ってからの一連の流れで起こったのは、深い罪悪感の手放しでした。

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今回のMICAさんのセッションで得た気づきはまだまだあります。またあらためて書きたいと思います。

MICAさんのブログ:MICAの霊的通信
 
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Koshiチャイム!

先日、葉山の滝とマーメイドセラピーに伺ったときに、こずえさんのサロンで聴いて一目(耳)惚れしたのがKoshiチャイム。

Koshi chime

風鈴のようにひとつで鳴らすこともできるし、写真のように音叉のように当てて共鳴させることもできるのです。

目をつぶって、耳元で聴いたそれは、この世のものではない、天上の音でした。

4個あって、それぞれTerra(大地)、Aqua(水)、Aria(風)、Ignis(火)のエレメントに対応した音色に調律されています。
 
 
この4個セットを買ったのがさっき届いて、さっそく風が当たる場所につり下げました。結構強い風でないと鳴らないみたいで、常時鳴り続けることはなく、ちょうどいい感じ。

ネット上で試聴もできるけれど、実際に聴くのとは全然違うのです。キラキラ感も深みも・・・。

どうやら、ヒーリング・グッズ的な使い方もできるみたいです。

 

マーメイドセラピー 本来の自分に戻っていくボディワーク
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スピリチュアルと知性、そして依存

最近、急にカードと関わるようになったのは、ツールと対等でいられるようになってきたから、な気がします。
 

スピリチュアルを「使って」いたつもりだった私

以前、私はスピリチュアルの考え方の「いいところ取り」をしてるつもりでした。

自分(=知性)を操縦席に座らせたまま。自分の心や体は実験台。私は上から、ツールを御しているつもりでした。

私はずっと、心をコントロールしたいと思っていました。

「恐怖心を感じなくするには!」(対人恐怖だったのでね、、、)
「喜びを感じるようにするには!」(スピ系の本がワクワク感がキーだと言うもんで)
「自分中心で生きるには!」(by左脳www)

それをね、できるようにするためのツールが、スピなんだと思っていました。。。。。。
 

信じることへの恐怖

そこにあったのは恐怖だったのだと思います。

とにかく、何かを信じるということは、人間の弱さであり、愚かさなのだと感じていました。占いとか、宗教だとか、偉い人の言うことだとか、人の言うことに簡単に支配される人間って、なんて愚かなんだろう、自分もその一員であることが許せない、いや、自分だけは、何かにハマったりしないぞ、という決意めいたものもありました。

人間、嫌いだったなぁ・・・・・・。

何より、自分が嫌いでした。
 

「知」によって救われてきた自負

でも、そのダメな自分でも、なんとか生きてこれたのは、「知」の力だと無意識に思っていました。

自分の内側から出た言葉を「ちょっと待った!それでは人に受け入れられない!」と否定して、一旦止まって、今ここで求められているだろう表情と言葉に変換する。

そのおかげで、小学校以降はいじめられずに生きてこれたのだと思います。

自分の内側にわきあがるものをそのまま出さないということ、知性を介入させ(そしていかに介入していない風を装うか)は、わたしの核のような部分でした。その能力で、私は救われた。いろんな困難をそれで乗り切ってきた。

その介入テクニックの高度なものが、スピだと思っていました。
 

自己否定=スピ否定=この世における被支配者

スピは、ダメな自分を引っ張り上げるためのツール。。。そのダメな私がツールを御す!?!?!?完全に矛盾ですわ。

だから、当時、私はツールを使う側のつもりで、実質的には、そのダメな自分を改革してくれるツールは、無意識に自分よりも上に置いていたのです・・・。対等ではなかった。自分のチカラを信じていないから・・・・・・この感覚を言葉で表現するのは難しいな。。。

上に見ることは、下に見ることに等しいし、その逆もまたしかりなのだと思います。

わたしは、自分の「知」を否定しながらも、「知」に頼り、依存し、「知」に支配されていました。そして同時に、「スピ」を否定しながらも、「スピ」に頼り、依存し、「スピ」に支配されていたのです。。。。。。

自分は、この世で支配される側であること、つまり被害者としての自分にとらわれていたのですね。。。
 

スピ系ツールとの関係

操縦桿を握っているつもりの私としては、カードが見せてくれる結果も、キネシが伝えてくれる結果も、手放しで信じるわけにはいきませんでした。

タローデパリの場合は特に、カード「に」意味があるわけじゃなくて、そのイメージを見て呼び起こされる自分の内面・・・感情や記憶をとても大切にするのですが、それを口に出すことは、恐怖でした。

矯正しない、そのままの私が思うことなんて価値がないから・・・・・・

それに、カードが語りかけてくることを、もし手放しで信じちゃったら、スピリチュアルに支配されるじゃん、とも思っていました(無意識に上に見てるからね・・・)。だから操縦席でがんばってた。
 

今の気持ち

「私」はたぶん、この数年間のどっかの時点で、操縦席から転げ落ちたんだと思います・・・・・・いや、普通に今も座ってますけれど、自分がダメだからいつも見張ってムチ打って矯正してやらねば、というスタンスではもうない。

あれほど、自己否定を問題にして、自分を肯定しよう、愛そう!と人一倍取り組んできたのに、、、、、、

本当に、なんだったのだろうなぁ、、、、、、

当然、占いにも興味なかった私が、なぜタローデパリのリーディングを学んだのかって・・・・・・流れ、ノリ、としか言いようがないです・・・今思えば、初めてのタロットが「自分を信じる」タローデパリというのも、面白い巡り合わせ。当時は、そういうタローデパリの考え方、まったく分かっちゃいなかったのに!!!
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タローデパリとの再会

アクセスバーズを受けた後、友人にタローデパリのモニターになってもらいました。

タローデパリとは、(伝統的なタロットのような「シンボル」ベースではなく)「イメージ」ベースの、新しい、自由なタロットです。

tarot de paris タローデパリ

私は創始者のフィリップさんから認定を受けた認定リーダーでもあるのですが、数年間、対面のセッションはお休みしていました。

いろいろ理由はあるのですが、やはり、ここ数日の記事に書いているように、人間としての自分を否定したままでは使いこなせないカードだったから、というのが大きいのだと思います。

カードは、驚くくらい忠実に、まるで鏡のように、引いた人の心を映し出します。

ここ最近、文章によるリーディングをさせていただいていて、質問文が短すぎたり、その短い中でもつじつまが合わなかったりして、質問者が聞きたいことのポイントが理解できず、人間えりこが「わかるはずない!」とさじを投げたときも、タローデパリを引きました。

カードが映すとおりに読み、私なりに感じたことをシェアすると、私が一生懸命状況を想像してリーディングしたときよりずっと喜ばれる・・・という経験を何度かしました。

タローデパリ、すごいわ!という再発見。

といっても、カードはただの鏡。

相談者が言葉にしていない部分も、カードは映します。でも、それを読むのは、人間としての私。以前は、人間としての自分を信頼していなかったから、感じたことを表現できず、うまく読めませんでした。

みちよさんの特訓を受けた今なら読めるのでは!?とふと思い立って、最近、近しい人に久々の対面セッションをやらせてもらったところ、意外と好評なのです。

自分でもやってみるまで分からなかったのですが、今の私がやる場合、タローデパリがメインではなくて、カウンセリングが主体になるのです(!)

たとえば、自分ではそこには何も問題がないと思っていて、そう口では言っているけれど 、何度カードを引いても、問題があることを示唆するイメージが出る、、、、、、そういう場合、顕在意識と潜在意識にギャップがある、もしくは、言葉にしていないけど引っかかっている思いがある、ということになります。

そのギャップを会話だけで埋めるのはとても大変なのですが、イメージを使うので、その方の潜在意識にスッと入って、次第に「あ、そういえば、、、」「実は、、、」とご自身で気づくのです。ご自身が気づいたら、あとはもうカウンセリング。

言葉だけでは顕在意識で跳ね返されてしまうところも、イメージを介すと、潜在意識にスッと入っていける・・・というのは大きな発見でした。

イメージは、無意識への扉を開くのですね。

そういうわけで、近々、タローデパリのセッションだけでも再開しようかな、と考えています。タローデパリのセッションというよりも、タローデパリを使った、今必要な気づきを得るためのカウンセリング、ですね。1時間7,000円くらい。目下の問題は場所です。

都内(山手線西側、できれば新宿〜京王線沿線)で、いいところが見つかるといいんだけど・・・。
 
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「自分なんていらない」と思っていた私のスピリチュアル失敗談・・・

昨日、先日と同じ友人から2回目のアクセスバーズの施術を受けました。

1回目のときの記事→アクセスバーズ体験と、怒りの解放

今回はケンカすることもなく(笑)、友人の「どんどん出して〜」という言葉に甘え、施術中に盛大に咳はするは、しゃべり続けるわ。

おかげで、私の深いところにあった罪悪感が浮き彫りになってきました。

そして咳がほぼ止まった!!!!!のです!2週間ぶりに!

パーフェクトなタイミングのパーフェクトな施術。ありがとう。

Hayama

以下は、その後思ったことです。

前のプリミ恥部さんの記事を読んだ、当時の私をよく知る友人から、「確か、自分なんていらない、ツールでいたいって言ってた日から、とっても苦労してた」と教えてもらいました。

確かにわたしはあの頃、自分なんてなくなってしまえばいいのに、と思っていたのでした(小さい頃からそう思っていたのです)。

そういう気持ちで見えない世界に関わると、それは簡単に、持って行かれます・・・・・・。お望みどおり、自分をなくす方向へ。そして、それは、決して幸せな道ではありませんでした。

つい最近、初めて意識的に分かったことですが、私だって、本当は、綺麗だと(私が)思うものを身に着けて気分が上がり、美味しいと(私が)思うものを食べて幸せになって、好きだと(私が)思う人と一緒にいることで幸せを感じる生き物だったのです。

が、当時のわたしには、そういう、ほとんどの人が普通に感じるらしい感情がほとんどない、、、にもかかわらず、私がいかに否定しようと、生き物であるからエネルギーはあるわけで、行き場のないエネルギーを持てあましているような状態でした。

服なんてなければいいのに、顔なんて、髪なんて、存在しなければいいのにと、本気で、若い頃から、思っていました。

やりたいことがない・・・・・・。この地球で何やっていいか分からない(むしろいなくなりたい)、でも、仕事とか能力とかで器用な面はあるから、生きるのに必要なお金は稼げるし求められるんだけど、まったくワクワクしない、、、、という生活を長く送ってきた末に発見した「私がやりたいらしいこと」が、「自分をなくしてツールになる」ということだったような気もします。。。

2年前の秋、「自分」をなくす方向に行き、ただ寝てるだけ、数か月仕事できない、お金も底をつく、というようなどん底の時期を経て、コレジャナイ!!!!!と分かるという、過激なプロセスを辿り、、、スピリチュアルから離れた2年間を過ごし、さらに「自分軸」をスパルタ的に鍛えるみちよさんクラスでとどめを刺されて、今やっと、やりたいことをやる、というシンプルな生活を少しずつ送れるようになってきています。調布HANDSの園山先生の人間に対する抵抗をなくす施術もすごく大きかった!

今となっては、もう二度と、自分をなくそうとは思わないですね・・・

そして、2年前の一番ひどい時期を知っていて、今も付き合いを続けてくれる友人がいること。それには本当にただひたすらの感謝なのです。癒しのためのテクニックは数あれど、人は究極、人との関わりの中で癒されるのだと思います。

幼い頃から最近まで、わたしは対人恐怖、、、といえば少し聞こえはいい(?)ですが、プライドが高くてずっと弱みを見せられない人間だったのですが、人から逃げているうちは、人の本当の温かみというものが分からなかった気がします。

周りに生き恥をさらさざるを得なくなり、それでも、私の前を去らなかった友人がいてくれたことで、ようやく、こんな恥ずかしい人間でも、この地球上にいていいんだな、という、最低限の自己肯定感を手に入れられた気がします。マイナスからプラスへ。長い間、どんな自己肯定テクニックを自分に注いでも、自分という底なし沼に吸い込まれていっていたのが、底を打ったのは大きかったです。とてもとても必要な経験。

今回のアクセスバーズで浮上してきた罪悪感は、2年前、私がキネシオロジーのモニターさん100人のセッションを終えて、サロンをやろうとしていた頃の人との関わりに関するものでした。

私はまったく地に足着いていなくて、いろんな人を巻き込み迷惑をかけたと思います、、、、、、自分からやり出したのに放置して逃げたことへの罪悪感、、かな。この2年間、目を背けていた部分。罪悪感なんて持っていても何も益もないと頭では分かりつつも、このあたり、引っかかっています。その証拠に、当時のことを考えると、まだ少し咳が出るのです。しばらくは、ここに向き合っていかなければ。。。
 
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