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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

HSKキネシオロジーによる対人緊張の調整

ちょっと前の話になりますが、今から考えて、あれはひとつのターニングポイントだった!と思うのが、調布市の整体院HANDSでしてもらったHSKキネシオロジーによる対人緊張の調整です。
※HSKキネシオロジーは、筋反射を使うという点以外は、私がやるキネシオロジーとはまったく違います。身体的な問題と精神的な問題のどちらにでも働きかけることができて、その両方を同時に調整できるようです。
 
対人恐怖、対人緊張は、私にとって物心ついたころからの問題でした。もう何十年も、精神科・心療内科からスピリチュアルまで、いろいろな方法で取り組んだ結果、「対人緊張を問題と思う認識がなくなれば何も問題はない」つまり「対人緊張を治す必要はない」というところに行き着いて、最近は放置していました。

ですが、対人恐怖を問題だと思う意識がまったくなくなったわけではなく、何かきっかけがあるといろいろな形で浮上してきます。

私がHSKキネシのセッションを受けたのは、ちょうど、1回目のモニターカウンセリング練習をした数日後で、「あーーーやっぱり人とうまく話せなかった・・・・・・」という感情が浮上していたので、対人緊張に対しての調整をしてもらうことになったのでした。

面白かったのが、調整前は、「自分以外の人間」でOFF(ストレスを感じる)、「両親」もOFF、ここまでは想定内だけど、「自分」に対してもOFF、、、、、、自分を含む人間をイメージすると、とても重苦しい感じ(夫はON!さすが私に選ばれし人www)。

でもその反応は、1回目のモニターカウンセリング練習で浮上した問題、「自分でいることを拒否っている」ということそのまんまだったので、とても腑に落ちました。

調整自体は嘘みたいにあっという間だったんですが、「人間」についてイメージしたときの心の重苦しさやざわつきがかなり薄らいでいるのを感じました。

前に書いた「あ、私は今まで人間的な感情をないがしろにしてた!」という気づきから、ドミノ倒し的にさまざまな気づきがやってきて、現実も動き始めているのですが、そもそも、HSKキネシで「人間」に対する抵抗や「人間としての自分」に対する抵抗を弱めていなかったとしたら、あのような大きな心境の変化は起こっていなかった可能性がとても大きいと思うのです(いずれは起こってたでしょうけど、もっと時間がかかったはず)。

そして、スピリチュアルカウンセリングに抵抗があったと書いたのですが、それも、「人間」ごときに何か言われても聞きたくない!という気持ちがあったようで、以前よりもずっと素直に、人の意見に耳を傾けられるようになりました。

おそらく、これでもまだ根治ではなくて(根治っていう状態が存在するのかどうかもよく分かりませんが)、これまで何度もやってきたように、1枚ずつ薄皮をはいで身軽になっていくプロセスの中にいると思うのですが、その中でも結構分厚いやつを、HSKキネシは動かしてくれた気がします。

HANDSの園山先生は整体師でもあって、強力なエネルギーワークと身体的調整を同時に受けられるという点が、今私が求めているものとぴったりなのです。グラウンディング強化を目標に、しばらく通おうと思っています。

気功整体院HANDSはんず(最新情報が載っているけど、少し分かりづらい・・・)
気功整体院HANDSはんず(旧サイト)
キネシオロジー(HSK)による治療・セッション(旧サイトのHSKキネシオロジーの説明)
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金科玉条にはまる

さっき、たまたま読んだブログ記事に、これだ!って思う言葉があったのでメモ。

「方法論ではないこと」を言語で伝えようとするだけでも「方法論」になってしまう
 

矛盾を超えて。NYセミナーありがとうございました!|秦由佳オフィシャルブログ「それでも世界にYESと言おう。」


「言葉」ってすごいツールなんだけど、所詮、本来カタチを持たないものである「思い」を表現するひとつのカタチでしかなくて、カタチがあるがために、本来の思いとは違う風に受け取ってしまうリスクがあると思います。

それは、同じ場所と時間を共有していても。

先生が本当に伝えたいのは、その言葉の奥にある、もっと柔軟に自由にカタチを変えるような意識なんだとしても、実際そのように言われていても、どうしても、教わったことを静的な「言葉」として捉えてしまい、言葉面に足元をすくわれてしまう。

私には、その傾向があると思います。

特に、教わったことを金科玉条のように、いつでもどこでも通用する普遍的な法則みたいなものとして受け止めたときに危ないと思います。そして、その法則はシンプルであればあるほど危ない。

いくら「今の」自分にとって為になる思想でも、世の中にはいろんなタイミングで生きている人がいて。問題なのは、そこに「金科玉条」感があると、自分のマイブーム思想に同意しなかったり、否定してくる人に対して、良かれと思って(!)、上から目線で(!)言葉が出てしまうことですね(そういう態度が私は大っ嫌いなのに!!!!!!)。

何が言いたいかというと、今、私は、抑圧していた感情が浮上しやすくなってきていて、お、出てきたからにはちゃんと出し切っていこう、という時期なのですが、夫は「負の感情は抑えこまなければならない」という信条で長年生きてきた人なのです。そうしなければならないほどのハードな人生、というか。私は、私の行動の正当性を分かってほしいあまりに、彼の人生を無意識に全否定してしまいました。

金科玉条感は、現在地があって、目標があって、それに突き進むのだ!という直線的意識から生まれるような気がします。目標ばかり見過ぎて、今目の前にあるものを感じることをおろそかにしてしまう。

そして、金科玉条として崇め奉るということは、その教えがまだ自分のものになっていない、ということでもあると思います。本当に自分のものになれば、逆に、そんな暴力的に押し付けることはできなくなりますから。

どんな原則よりも常に一番大事なのは、相手と自分の今の感情を、そのふわっとしたものを「自分で」感じるということなのだと、あらためて肝に銘じようと思います。
 
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ハートのスピリチュアルカウンセラー養成講座 (5) 人間になる

(1) アウェイ感と怒り
(2) 初めての練習:スピリチュアルカウンセリングへの抵抗
(3) 「自分をなくす」と「自分でいる」のせめぎ合い
(4) 2回目の練習:感じたことを言ってみる
の続きです。

先週末の講座は、各自、練習の成果をシェアする日でした。それぞれの相談内容をサンプルに、このお悩みの本質は何か、自分だったらどう言うか、をみんなでシェアしあうのです。

その中に「起業しようと思っているのですが、うまくいきますか?」という相談がありました。

・・・・・・もう、そんなん、「うまくいきますか?」って人に聞いてる時点でダメでしょう!としか思えなかったんですね。。。でも、カウンセラーとしてはそんな風に切り捨てるわけにいかないので、じゃあ、何と言えばいいのか・・・頭真っ白、何も出てきません。

だって、私なら、絶対に、そんな質問しないんですね。「うまくいくだろうか?」と悩む発想自体がないというか・・・。

自分が会社を辞めてフリーランスになったときも、「うまくいきますか?」と他人に聞くなんて発想はありませんでした。すでに会社を辞める前から二足のわらじでやってましたし、うまくいく気しかしてなかった、という風に思っていました。

でも、よくよく感じていくと、単に、私は、「心配」という感情が大っ嫌いで、それを人に言うことはもちろん、自分の中で思うことも、許してなかった、というように、初めて感じられました。

私の母親は、異常な心配性で「大丈夫だろうか、うまくいくだろうか?」といつも言っている人でした。私はそのたびに、「大丈夫だよ」、と言い続けていました。心の大本営発表です。本当の気持ちとかは関係なく、とにかく「大丈夫」という答えは最初から決まっていました。自分の受験のときでさえ、「うまくいくだろうか?」と心配する母親に、「大丈夫に決まってるじゃん!」と安心させていたのでした・・・・・・。私自身の心配や不安が、本当になかったわけ、ないのに・・・。

それに気づいて初めて、この記事に書いたみちよさんの言ってたこと、私が自分の負の感情をないものにしている、という意味がようやく、ようやくストンと腑に落ちたのでした。

それは、とても、「人間的でない」ことだったんだなーと・・・・・・。

全部納得がいって、講座自体への反感も消え去っていきました。

また、2回目の練習でも中途半端に終わった、「感じたことを表現する」という練習を続けているうちに、自分でいる、という感覚がぐんぐん育っていくのを感じました。「なかったもの」ではなくて、本当はあるのに気づいていなかっただけなので、見つけてしまえばそこに「ある」。だから、いったん気づいてしまえば変化は早いのですね・・・

たぶん、2年前にスピの分野で仕事をすることに挫折したときに本当に私に必要だったのは、こういう「自分でいる」感覚で、本当にそれが私に必要だから、この講座にピンときて申し込んだんだと、心から理解しました。スピリチュアル用語で言えば「グラウンディング」です。

そういえば、リラクゼーションサロンに入ってボディーワークを仕事にしてみたのも、グラウンディングにつながると思ったからでした・・・。その取り組みでは得られなかった変化が、この数か月で起こりました。

怒りを出す、感情を出すってすごい。醜いけど、辛いけど、すごい(ほんとは醜くないんですよね・・・周りは大変だったと思うけど・・・)。

みちよさんの講座受けることにして良かったーーーー!

この人間世界では何をするにも必要なのに、私みたいな特性を持った者にとってはとても難しい、「自分でいる」、、、つまり人間感覚を身につける方法としては、すごく辛かったけど、必要な方法だったと思います。

まだまだ途中ですが、とりあえず、講座レポは一旦ここで切ります。
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ハートのスピリチュアルカウンセラー養成講座 (4) 2回目の練習:感じたことを言ってみる

(2) 初めての練習:スピリチュアルカウンセリングへの抵抗
(3) 「自分をなくす」と「自分でいる」のせめぎ合い
の続きです。

「もし必要なければ見つからない、必要なら見つかる」と意図して探しはじめてみると、新しいクライアント役さんはすぐに見つかりました。

2回目の練習では、「自分を保つ」を最優先にすることを心がけるのと当時に、必要に応じてメモの助けを借りることにしました。

私は、ADD(注意欠陥障害)のグレーゾーンだからか、頭の中に多くのチャネルを流すことができません。話しながら、「あとでこれ言おう〜」とか、「あ、これはこの方向性でもっていけば!」などと思いついても、別のことに気が向けば、流れて消えていってしまいます。だから、メモで補完することなしに、話をリードしていくのはとても難しいのです。

前半はやはりバランスが取れず、1回目と同じような流れになりかけました。

それで、メモに残っていた言葉を手がかりに、クライアント役の方は言ってはいないけど私は「こう感じる」ということを恐る恐るシェアしてみたら、「そうなんですよ〜!!!」と、初めての明るい声が返ってきて、とてもほっとしました。

そのあとも、「私がやっているわけではないのだから」と私を消そうとする私と、「私はこう感じる」を怖々言ってみる私が交互に出てくる感じで、カウンセリング自体は決して満足できる出来ではありませんでした。

でも、「自分が感じたことを言葉で伝える」という、これまでの自分では「禁忌」のようになっていた体験が初めてできて、人間として、大きな自信につながりました。

2人の練習相手さんに、心から感謝です。

>>> (5) 人間になるに続きます。
 
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ハートのスピリチュアルカウンセラー養成講座 (3) 「自分をなくす」と「自分でいる」のせめぎ合い

(2) 初めての練習:スピリチュアルカウンセリングへの抵抗
の続きです。

練習を振り返ってみると、私の中で相殺し合うエネルギーが働いて、動けなくなったように感じました。

浮上してきたのは、「私が私でいる」のを許可していない自分です。

以前、キネシオロジーをやっていたとき、私は、自分の主観・私情が入らないように「自分をなくす」ように心がけていました。たぶん、そのように教わったわけじゃなくて、その方が私にとって自然だったからだと思います。子どもの頃の勉強もそうでしたし、今で言えば翻訳をするときも、集中すると「自分がやっているわけではない」感があります。「自分」が立ち退いたほうがいい結果が出るのです・・・。

でも、みちよさんのメソッドをやるには、正反対の態度が不可欠なのだと体感で分かりました。「自分でいて」「自分で感じる」のですね。視える視えないは置いておいて、自分で感じるってことが肝。そのために、相手にチューニングはするけれど、軸としての自分は立ち退いていなくて、ちゃんと真ん中にいるのです。

以前からの自分の(いい結果を出すには)「自分をなくす」という思い込みと、みちよさんの教える、私にとって慣れない「自分でいる」という相反する態度を同時に心がけた結果が、ボロボロなモニターカウンセリングでもあったし、また、講座でのアウェイ感でもあったのだと思います。

でも、この経験を経て、やっと、ここでいうカウンセリングとは何なのか、何を提供することになっているのか(提供できませんでしたが・・・)、ゲームのルールみたいなものを体当たりで、おぼろげながら、理解することができました。

何をするのかも分からない状態からは脱した。そして、「自分でいる」ことが肝だということを理解した私は、もう一度、練習をしてみることにしました。

>>> (4) 2回目の練習:感じたことを言ってみるに続く
 
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