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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

金科玉条にはまる

さっき、たまたま読んだブログ記事に、これだ!って思う言葉があったのでメモ。

「方法論ではないこと」を言語で伝えようとするだけでも「方法論」になってしまう
 

矛盾を超えて。NYセミナーありがとうございました!|秦由佳オフィシャルブログ「それでも世界にYESと言おう。」


「言葉」ってすごいツールなんだけど、所詮、本来カタチを持たないものである「思い」を表現するひとつのカタチでしかなくて、カタチがあるがために、本来の思いとは違う風に受け取ってしまうリスクがあると思います。

それは、同じ場所と時間を共有していても。

先生が本当に伝えたいのは、その言葉の奥にある、もっと柔軟に自由にカタチを変えるような意識なんだとしても、実際そのように言われていても、どうしても、教わったことを静的な「言葉」として捉えてしまい、言葉面に足元をすくわれてしまう。

私には、その傾向があると思います。

特に、教わったことを金科玉条のように、いつでもどこでも通用する普遍的な法則みたいなものとして受け止めたときに危ないと思います。そして、その法則はシンプルであればあるほど危ない。

いくら「今の」自分にとって為になる思想でも、世の中にはいろんなタイミングで生きている人がいて。問題なのは、そこに「金科玉条」感があると、自分のマイブーム思想に同意しなかったり、否定してくる人に対して、良かれと思って(!)、上から目線で(!)言葉が出てしまうことですね(そういう態度が私は大っ嫌いなのに!!!!!!)。

何が言いたいかというと、今、私は、抑圧していた感情が浮上しやすくなってきていて、お、出てきたからにはちゃんと出し切っていこう、という時期なのですが、夫は「負の感情は抑えこまなければならない」という信条で長年生きてきた人なのです。そうしなければならないほどのハードな人生、というか。私は、私の行動の正当性を分かってほしいあまりに、彼の人生を無意識に全否定してしまいました。

金科玉条感は、現在地があって、目標があって、それに突き進むのだ!という直線的意識から生まれるような気がします。目標ばかり見過ぎて、今目の前にあるものを感じることをおろそかにしてしまう。

そして、金科玉条として崇め奉るということは、その教えがまだ自分のものになっていない、ということでもあると思います。本当に自分のものになれば、逆に、そんな暴力的に押し付けることはできなくなりますから。

どんな原則よりも常に一番大事なのは、相手と自分の今の感情を、そのふわっとしたものを「自分で」感じるということなのだと、あらためて肝に銘じようと思います。
 
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ハートのスピリチュアルカウンセラー養成講座 (5) 人間になる

(1) アウェイ感と怒り
(2) 初めての練習:スピリチュアルカウンセリングへの抵抗
(3) 「自分をなくす」と「自分でいる」のせめぎ合い
(4) 2回目の練習:感じたことを言ってみる
の続きです。

先週末の講座は、各自、練習の成果をシェアする日でした。それぞれの相談内容をサンプルに、このお悩みの本質は何か、自分だったらどう言うか、をみんなでシェアしあうのです。

その中に「起業しようと思っているのですが、うまくいきますか?」という相談がありました。

・・・・・・もう、そんなん、「うまくいきますか?」って人に聞いてる時点でダメでしょう!としか思えなかったんですね。。。でも、カウンセラーとしてはそんな風に切り捨てるわけにいかないので、じゃあ、何と言えばいいのか・・・頭真っ白、何も出てきません。

だって、私なら、絶対に、そんな質問しないんですね。「うまくいくだろうか?」と悩む発想自体がないというか・・・。

自分が会社を辞めてフリーランスになったときも、「うまくいきますか?」と他人に聞くなんて発想はありませんでした。すでに会社を辞める前から二足のわらじでやってましたし、うまくいく気しかしてなかった、という風に思っていました。

でも、よくよく感じていくと、単に、私は、「心配」という感情が大っ嫌いで、それを人に言うことはもちろん、自分の中で思うことも、許してなかった、というように、初めて感じられました。

私の母親は、異常な心配性で「大丈夫だろうか、うまくいくだろうか?」といつも言っている人でした。私はそのたびに、「大丈夫だよ」、と言い続けていました。心の大本営発表です。本当の気持ちとかは関係なく、とにかく「大丈夫」という答えは最初から決まっていました。自分の受験のときでさえ、「うまくいくだろうか?」と心配する母親に、「大丈夫に決まってるじゃん!」と安心させていたのでした・・・・・・。私自身の心配や不安が、本当になかったわけ、ないのに・・・。

それに気づいて初めて、この記事に書いたみちよさんの言ってたこと、私が自分の負の感情をないものにしている、という意味がようやく、ようやくストンと腑に落ちたのでした。

それは、とても、「人間的でない」ことだったんだなーと・・・・・・。

全部納得がいって、講座自体への反感も消え去っていきました。

また、2回目の練習でも中途半端に終わった、「感じたことを表現する」という練習を続けているうちに、自分でいる、という感覚がぐんぐん育っていくのを感じました。「なかったもの」ではなくて、本当はあるのに気づいていなかっただけなので、見つけてしまえばそこに「ある」。だから、いったん気づいてしまえば変化は早いのですね・・・

たぶん、2年前にスピの分野で仕事をすることに挫折したときに本当に私に必要だったのは、こういう「自分でいる」感覚で、本当にそれが私に必要だから、この講座にピンときて申し込んだんだと、心から理解しました。スピリチュアル用語で言えば「グラウンディング」です。

そういえば、リラクゼーションサロンに入ってボディーワークを仕事にしてみたのも、グラウンディングにつながると思ったからでした・・・。その取り組みでは得られなかった変化が、この数か月で起こりました。

怒りを出す、感情を出すってすごい。醜いけど、辛いけど、すごい(ほんとは醜くないんですよね・・・周りは大変だったと思うけど・・・)。

みちよさんの講座受けることにして良かったーーーー!

この人間世界では何をするにも必要なのに、私みたいな特性を持った者にとってはとても難しい、「自分でいる」、、、つまり人間感覚を身につける方法としては、すごく辛かったけど、必要な方法だったと思います。

まだまだ途中ですが、とりあえず、講座レポは一旦ここで切ります。
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ハートのスピリチュアルカウンセラー養成講座 (4) 2回目の練習:感じたことを言ってみる

(2) 初めての練習:スピリチュアルカウンセリングへの抵抗
(3) 「自分をなくす」と「自分でいる」のせめぎ合い
の続きです。

「もし必要なければ見つからない、必要なら見つかる」と意図して探しはじめてみると、新しいクライアント役さんはすぐに見つかりました。

2回目の練習では、「自分を保つ」を最優先にすることを心がけるのと当時に、必要に応じてメモの助けを借りることにしました。

私は、ADD(注意欠陥障害)のグレーゾーンだからか、頭の中に多くのチャネルを流すことができません。話しながら、「あとでこれ言おう〜」とか、「あ、これはこの方向性でもっていけば!」などと思いついても、別のことに気が向けば、流れて消えていってしまいます。だから、メモで補完することなしに、話をリードしていくのはとても難しいのです。

前半はやはりバランスが取れず、1回目と同じような流れになりかけました。

それで、メモに残っていた言葉を手がかりに、クライアント役の方は言ってはいないけど私は「こう感じる」ということを恐る恐るシェアしてみたら、「そうなんですよ〜!!!」と、初めての明るい声が返ってきて、とてもほっとしました。

そのあとも、「私がやっているわけではないのだから」と私を消そうとする私と、「私はこう感じる」を怖々言ってみる私が交互に出てくる感じで、カウンセリング自体は決して満足できる出来ではありませんでした。

でも、「自分が感じたことを言葉で伝える」という、これまでの自分では「禁忌」のようになっていた体験が初めてできて、人間として、大きな自信につながりました。

2人の練習相手さんに、心から感謝です。

>>> (5) 人間になるに続きます。
 
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ハートのスピリチュアルカウンセラー養成講座 (3) 「自分をなくす」と「自分でいる」のせめぎ合い

(2) 初めての練習:スピリチュアルカウンセリングへの抵抗
の続きです。

練習を振り返ってみると、私の中で相殺し合うエネルギーが働いて、動けなくなったように感じました。

浮上してきたのは、「私が私でいる」のを許可していない自分です。

以前、キネシオロジーをやっていたとき、私は、自分の主観・私情が入らないように「自分をなくす」ように心がけていました。たぶん、そのように教わったわけじゃなくて、その方が私にとって自然だったからだと思います。子どもの頃の勉強もそうでしたし、今で言えば翻訳をするときも、集中すると「自分がやっているわけではない」感があります。「自分」が立ち退いたほうがいい結果が出るのです・・・。

でも、みちよさんのメソッドをやるには、正反対の態度が不可欠なのだと体感で分かりました。「自分でいて」「自分で感じる」のですね。視える視えないは置いておいて、自分で感じるってことが肝。そのために、相手にチューニングはするけれど、軸としての自分は立ち退いていなくて、ちゃんと真ん中にいるのです。

以前からの自分の(いい結果を出すには)「自分をなくす」という思い込みと、みちよさんの教える、私にとって慣れない「自分でいる」という相反する態度を同時に心がけた結果が、ボロボロなモニターカウンセリングでもあったし、また、講座でのアウェイ感でもあったのだと思います。

でも、この経験を経て、やっと、ここでいうカウンセリングとは何なのか、何を提供することになっているのか(提供できませんでしたが・・・)、ゲームのルールみたいなものを体当たりで、おぼろげながら、理解することができました。

何をするのかも分からない状態からは脱した。そして、「自分でいる」ことが肝だということを理解した私は、もう一度、練習をしてみることにしました。

>>> (4) 2回目の練習:感じたことを言ってみるに続く
 
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ハートのスピリチュアルカウンセラー養成講座 (2) 初めての練習:スピリチュアルカウンセリングへの抵抗


モニターカウンセリングの宿題だけはやることにしたものの、スピリチュアルカウンセリングというもので一体自分が何を提供するのか、できるのか、全然イメージがわかないので、途方にくれました。

私は受ける側としても、スピリチュアルカウンセリングがあまり好きではありません。ちょっと腑に落ちないと、「は?それ、自分の意見じゃね?」とか思ってしまいます(ほんと、じゃあ、なんでこの講座に申し込んだのか、という感じですが・・・)。

キネシオロジーは、自分の体の声を通訳してもらうものなので別なのです(厳密に言えば、キネシも取る側の影響をまったく受けないわけではありません)。

それに、みちよさんは視える人で、何かを視てカウンセリングしてる。それがキネシと同じように通訳なんだろうな、というのは分かる。でも私は何も視えない。視えないのに、思ったこと言うなんて、自分の意見を言うだけになるんじゃない?分からない・・・・・・。

そんな状態だったらやめればいいのに、持ち前の度胸と好奇心だけで、やらせてもらいました、対面カウンセリングの練習。

結果は、当然のように、ボロボロでした。

何度も「しーん」としました。

何も視えない。かといって、それをごまかすだけのトークのスキルもない。ずっと黙っているわけにはいかないので、私が絶対に嫌だと思っていた「自分の意見」のようなものを言ってしまい、そういう自分が許せない!でもそれ以外に何を言えばいいのか分からない!!!

本当に不本意で、恥ずかしくて、悔しい経験でした。

>>> (3) 「自分をなくす」と「自分でいる」のせめぎ合いに続く
 
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