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福岡&遠隔でヒーリングもやっています

流れが変わる?

先輩フリーランスの方々から、大きく流れが変わる前には、仕事がぱたっと来なくなることがあるんだよ、と聞いたことはあったのですが。

今、まさにそれが起こっています。

会社をやめてフリーランスになって、ほぼ5年です(もともとフルタイムの会社員で、休みの日にフリーの仕事を二足のわらじで始めて、フリーの仕事が忙しくなってきたあたりで時短勤務に移った、という経緯は、前にIHキネシをやってもらったきょうこさんの取材記事で、ほぼ同じことが書かれていたのでびっくり!→会社に勤めながら土日で始めた、インテグレート・ヒーリング)。

フリーランスになってからは、案件が1件も「ない」状態になったことがほぼなかったのです。

こちらから連絡して休みにした期間はあったのですが(うつ状態で寝込んでいた数か月などなど)、特に連絡しない限り、ほぼ、1か月先くらいまでは仕事が埋まっている状況でした。

翻訳が嫌で、キネシオロジーとか、足つぼとか、Webデザインとか、、、、、やるんだけど、その間も、ただ断る案件が多くなるだけで、案件打診の流れが止まることは一度もありませんでした。私はメインの取引先が3社だけなんだけど、1社が止まっても、別の会社から絶妙に打診が来る、という状態で、自分で調整しなくても、うまーく入れ違いに仕事が入ってきていたのです。

でも、この2月分に予定を空けていた分の大型案件が複数あったのですが、予定が合わなかったり、直前にキャンセルになったり、大幅に文字数が減少したり、ということが立て続けに起こり、とうとう、いま、手持ち案件がゼロに!(予定案件はあるものの、それも、そんなに大きいものではありません)

技術翻訳をやめよう、と決意しては戻ってくる、という試みを何度も繰り返すうちに、「仕事が来る間は、続けよう」そして「仕事が来なくなったら、それが辞めどき」というのは、ひとつのサインとして、ずっと胸にありました。

技術翻訳はわたしの収入源として一番大きいものだったので、不安はあるけれど、これからどうなるのか、ちょっとワクワクしながら、流れに身を任せています。

初めての白紙状態を楽しめるか?わたし!?というチャレンジです。いずれにしろ確定申告はやらなくてはならないのですが。これを機に、Web制作のほうも活動を再開しようかな、と考えています。
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真っ黒なところの開示

今日の納品だん。朝10時納期で、始めたのは朝5時。1,000ワード弱と少量だったから、5時間もあれば余裕(なにも事件が起こらなければ)。実際、かなり丁寧にチェックして出せた。

でも、本来、仕事として請けている以上、何かあってもいいように、前倒しで進めておくべきだということを、頭では分かっているし、心からそうしたいと思ってる・・・。

でも、どうしても、どういうわけか、ギリギリにしか始められない。フリーランス始めた頃からそうだし、今でも。

私はこの性癖(と言う言葉がぴったり・・・><)を今までものすごく恥じていて、特に、翻訳関係者に対しては、トップシークレット並みに隠していたけれど、いくら隠しても、いくら内心恥じていても、いつまでたっても、できるようにならないんなら、変わらんな、という気がしてきました。

「今」、私はこうなんだ、って一旦、卑下を絡ませずに自分を捉えてみることが、何かを変えるきっかけになる気がして、今日は書いてみました(今書きながらビクビクなんだけど)。

継続を、連鎖を、断ち切りたいのです。

「私はこういう人間」っていうのを、リセットしたいのです。

先延ばし癖以外にも、自分にとってのタブーな領域、「真っ黒」だから絶対に人に見られちゃダメだ!!!!!!と無意識に隠してしまう部分がたくさんある。基本、自分をめちゃくちゃ恥ずかしい人間だと思ってる。

自分の中の「真っ黒」な部分を必死に守って生きているけれど、いやいや、その「黒」はあくまで過去の自分の目を通した「黒」。今じゃない。単なる解釈に過ぎないし、幻想かもしれない。

いや、なんかもう、ぜんぶ幻想だな、と。

生まれ直すように、毎瞬毎瞬を新しい自分でつくることを、心がけてみようと思いました。。。
 
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『それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?』前半を読んだら、うつ状態から抜けてしまった件・・・・・・

昨日の記事は、もっともっと下に潜っていくという決意表明だったのに、次の日に急浮上してしまいました・・・・・・。

妙に視界が明るくて、ハートが軽い、、、、、、もしや、うつ期間終了、、、明日のことはわからないけれど。

「トラウマ」というキーワードが、数か月前から上がってきていました。

今日、ミラーニューロンの本を出している大嶋信頼さんの『それ、あなたのトラウマちゃんのせいかも?』を半分まで読んだのです。ピンときて買ったものの、気が進まなくて何か月も積ん読になっていたもの。

トラウマって、今まで、少し距離を置いていた言葉だったのですが。

この著者が定義する(もしかしたら一般的な定義とは少し違うかもしれない)「トラウマ」は、想像した以上に思い当たることが多く。。。まさに、今このタイミングで読む本だったのかなと。

わたし、昔から、自分でも不思議なんだけど、「安静」にたえられないのです。なにもせずに、なにも考えずにいると、すごい恐怖感にさらされる。死にたくなる。だから、強引に眠ってしまうのです。

わたしが、過眠傾向なこと、、、いくらでも、何時間でも眠れるのはラッキーだったと思います。私がただひたすら毎日眠っているとき、それは、眠たいのとは少し違って、恐怖を感じないために意識を失うかのように、寝てしまうのです。もしもお酒が飲める体質だったなら、アルコール中毒になってたんじゃないかと思う。。。

その自覚はうっすらとあったけど、自分ではどうしようもない領域でした。「起きてられない」のは「意志が弱い」ことと、どうしてもつながってしまうし、、、でも、そんな自分をも「認める」っていうのが、私のテーマじゃん、あーでも、本当は起きていたいんだよ、でも起きているのは死ぬほどの恐怖、、、結局負けて寝てしまう、、、、、、ああ、わたしにできるのは、そういう自分を責めないこと!、、、、、、それでもわきあがる罪悪感、、、責めるんじゃないよ!って責めるわたしを責めるという不毛なループ(笑)

まあ、起きてるとき(=納期前など用事があるときだけ)は頑張れるんだから、、、、、、と放置してきた部分でもあります。

納期とかのストレスに追いまくられているときだけ、わたし、実は、少しだけ、幸せなのです。。。。。。もちろん、辛いけど、精神的にも体力的にも本当に辛いけど、でも、生きていて、ちょっといいかも、みたいな気分は、追いまくられている極限のストレス下でしか、わたし、感じられないみたい、、、、ということは、薄々、何度も繰り返すうちに、自覚していたことでした。

そのあたりの闇が、この本の前半で、ストンと腑に落ちたというか。この人の「トラウマ」理論なら、説明がついた、というか。

具体的な説明は省くけど、本の半ばに、「恐怖に浸る」方法が紹介されていて、すぐできそうだったので、その場で本を伏せ、やってみることにしたのです。「〜する恐怖」「〜を失う恐怖」などなど、思いつくままに、いろいろな恐怖に浸っていったら、確かに、特定の恐怖で、心の奥底で何かが溶けていくような、軽くなるような感じになるのです。で、また別の恐怖を思い浮かべて、とやっていったら、リバーシングの最後みたいに、身体がどんどん軽くなり、全身が(イメージとしては幽体離脱的に)上に持ち上がっていって、至福状態で、そのまま寝入ってしまいました(具体的に、どの言葉のときに、至福状態に入っていったのかを忘れてしまったのが少し残念)。

なぜかラジオの音で目が覚めました。電源が切れているはずのラジオが勝手に鳴っていて。

起きる直前に見ていた夢の中で、私は両親に逆上して、怒鳴りちらしていました。そして、意識が戻ったとき、初めて「両親への怒りをおさえられない」私を奇異に思いました。

両親を一方的に責める枠組みから、ようやく一歩出られたのが、今日なのかもしれません。

なぜ、私は両親に怒ってしまうのか。やっと、そっち側に目を向けられました。

夜、久しぶりに1人でスーパーに行き(鬱状態のときの私はスーパーがすごく苦手)、ちゃんとご飯を作りました。スパルタ鍼灸院への予約を入れました。鬱状態から出た後では「なぜ・・・」と思うんだけど、鍼灸院の先生に予約の連絡するのすら、怖くてできなかったのです。(福岡に来てから、やはり恐怖のために一度も行っていない)美容院も行きたいな、と思い始めてる。。。。。。

あんなに、上がるのではなく、下がるのだと決意した翌日なのに。

といっても、この本はまだ半分。残りも楽しみ。

 
大嶋信頼
青山ライフ出版
(2015-07-10)
コメント:「わかっちゃいるけど止められない」「なぜかいつも同じことを繰り返す」状態に確かに効果がありました。

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近況

最近は、自分の本当の声をなんとかして聞きたい、という一心で、何かを「しようとしない」ことを、徹底的に、自分に課してる。

具体的に言えば、寝られるだけ寝てる。ありえないほど寝てるのに、何かをしたい、という気持ちはいまだにわいてこない。

物心ついた頃から、自分に不足しているモノはなに?それを身に着けて自分を「変えよう」としてきたけれど、そういう方向性では、私のほしいものは、結局手に入らないのだと、最近、本当にあきらめました。

つい、そっちを求めてしまうのだけど。

わたしが本当にほしいのは、「愛着」の感情とか、「生きたい」という気持ちとか。

そういう基本的な感情がない(恐らくあるはずなんだけど認識できない)のに、何かが「できる」ようになっても、同じだった。

それは、楽な方向に逃げているだけだった。

お金を稼ぐことだって、そのための仕事だって、結局、生きたいと思えないのに、本当にやりたいと思えるわけがない。

子どもの頃、わたしが人から認められたり褒められたのは、何かができるときだけだった。器用なせいで、感情が伴わなくても、努力もしなくても、人並み以上の結果が出せたのも、なんか、うまいこと仕組まれた(仕組んだ)舞台装置なのだと思う。

その延長線上で、結果を出せば、いつか気持ちもついてくるのかと、、、、、あれ?それは自分を騙したのかな?そうじゃないって、そんなことは、幼い頃からずっと分かっていた。。。。(いくら〜ができても、私の内には何もないんじゃないか?)やっぱり、ただ楽な方向に逃げただけだったのかも。ずっと、そうじゃないって、心の奥底では知っていたから。

それなのに、自分を騙して、、、この、「欠けている部分」を手に入れさえすれば、幸せになるのかもしれない、と少しの期待をかけて。そして、手に入れて、あれ?ってなることを何度も繰り返した。飽きるほど繰り返すまでは、分からなかった。だから後悔はしていない。

生きていたくないという言葉は、不愉快になる人が多いと経験上分かっているので、ほとんど言葉にすることはないけど、物心ついてから常に思ってること。生きていたくない、と発言することは一般常識的にNGとされている(と理解している)ので、私の中でも、「ない」ことにしたかった。

けれど、それがやっぱり私の中に常にあるもので、「ある」ものを「ない」ことにしていることが、そもそもの自己否定なのだな、と今は思ってる。

私の心がずっと叫んでいる言葉に耳をふさいで、偽ポジティブを作り上げてしまったから、なかなかアクセスできなくなっているけれど、、、どうか、死にたいでもなんでもいいから、もっとドス黒いやつでもいいから、自分の本当の声が噴き出してくれないかな?と。

私が生きていくために巧妙につくりあげた、自分の声を無視したり、聞こえなくしたり、ポジティブ変換したりする装置が勝手に働くからね、すごい難しいんだけど、ただただそのままの自分の声を聞こうとしてる、そんな毎日です。

まあ、実際、そんな闇なんてないかもしれないんだけど。闇でなくても何でも、とにかく自分の本当の声を聞きたい。

つまり、「上がっていく」のをやめて、本当に一番底のところまで「下がっていく」ことに決めました。
 
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「何もしない」ということ

前回のブログと重なるのだけど、自分を認めるってなんて難しいのだろう。

ここ数か月間ほとんど他人様のブログを読んでいなかったけど、久しぶりにはるちゃんのブログを見たら、「やりたい事が見つからないという嘘。」こういうの好きだったな。本当にいつもながら、大事なことを言ってる。

「何もしたくないのなら、何もしないでと言いたいのです。」

・・・・・・・そういうメッセージは、誰が、とは挙げられないほど、たくさんの人がいろんなかたちで教えてくれていて、私もずっと前から「頭では」知っていたことで、いや何度も「今度こそ腑に落ちた」と思い、ずっと、そういう方向に「変わろうと」してきたんだよ。

その結果が今だよ。

もう何年やってきたのだろうか。

寝たいと思うだけ寝ること。

食べたいだけ、食べたいものを食べること。

何もしたくないときは何もしないこと。

やってるよ!!!って(←まさにその思いがトリックなんだよね、、、「(私にはこれが足りてないのか、そうか、だから)やるべき」→「やってます」のループ)

そのために在宅フリーランスになったとも言えるくらいだし、私が昼まで寝ていても何も言わない旦那様もゲットしたよ、、、

「したくないことはしない」取り組みを始めた頃、わたしはまだ会社勤めで、離婚したばかりで、1人暮らしで、貯金もなくて、うつ病で傷病手当金もらってそれを始めたってことを思えば、好転はしているのだろうけれど。客観的に見ればね。

でも、その、今日も何もしなかった、、、、これだけしか進まなかった、、、、こんなに寝てしまった、、、、という思いが、完全にはぬぐい去れていないのに気づくよ。

できれば私も本当は、、、、、目覚まし時計が鳴る前にパッと目が覚めて、今日はどんな楽しいことが待っているのだろうとワクワクしながら布団から出て、キビキビ布団たたんで、サッと窓を開けて新しい朝の風を取り入れ、考えるより先に体が動いてしまうほど習慣になっている掃除を始める、、、、台所からはコーヒーの香りが、、、みたいな人になりたいと、どこかでずっと思ってしまうんだよ!(笑)

なんていうの、「前提」が変わってないんだよね。

最終の、究極的なところで、「自分はダメ」、「自分のことは認められない」、「動かない人は価値がない」っていうところを手放せてないんだなー、、、と。

そして、また、母親問題に戻ってくるのです、、、、、、母親は朝早くからキビキビ働く人だったから。

この、「母親からの承認」を、いらないって言っておきながらも無意識に求めてしまう心がまだ自分の中にあることをちゃんと自覚して、切るってことなんだと思う。

母親の承認されないだろう自分の「正体」がいまだに嫌いで、認められないんだけど、認めたくないことも含めてそれも100%認めるってことなんだろうと思う。
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